物語のパロディー
夫が子どもたちにしていた昔話(桃太郎)。
夫が思いついたのかと思ったら、以前からあるネタだそうです。
シンデレラ
私もたいがいです。
荒唐無稽ですが、私なりの理屈があるのです。
ちなみに、以前このようなnoteをアップしたのですが・・・
今回のnoteは別名「もっと可愛くない私」で、良くも悪くも、夢ではなく現実を考えてしまう私ということです。
パロディーシンデレラの詳細
詳しく話すと、まずはこのように始まります。
これは、身近な人の嗜虐性を誘発する前に自ら動いていたのかもしれませんし、親を亡くした悲しみを紛らわすためだったかもしれません。
「シンデレラ」というのは「灰かぶり」みたいな意味で、この物語が初めて日本に渡ってきたときは「おすす」と訳されたのだとか。
この「シンデレラ」という呼称も、継母たちから言われたのでなく、自虐を交えた自称で、ちょっとドジなシンデレラは、実際に灰をかぶってしまったことがあるという設定です。
家を出たのは、母も父も亡くなっているし、もうここは自分がいるところではないと思ったからです。
「私もお城のパーティーに行きたい」と泣いて魔法使いが登場したわけでもなければ、カボチャの馬車に乗ったわけでもありません。
ついでに言えば、ガラスの靴を落としたわけでもないので、王子は手がかりなくシンデレラを捜しまわり、仕立て屋で甲斐甲斐しく働くシンデレラを発見するというシーンもあります。
(ノーヒントといえど、顔は覚えているので、記憶を手がかりに、王子は自らシンデレラを捜しまわるのです)
そして、自分は王子と結婚せず、良い友好関係を築けば、庶民目線から王政に進言し続けることができるでしょう。
シンデレラは仕事を続けることもできるし、好きな人ができたら結婚したらいいし、みんなが幸せになれると思うのです。
幸せを人任せにしないこと。それが本当に幸せになる方法だと思うのです。
物語のシンデレラは…
みんな薄々気付いているかもしれませんが、物語のシンデレラは、あまりにも美しく、弱々しく、従順で、受け身なのです。
ただ、もとのシンデレラストーリーを否定する気はありません。それはそれで素敵だし、もとがあるから、アレンジが楽しいのです。
このパロディーをmixiで発表したら、友達が
「王子意志弱っ!」
とコメントをくれました。王子のフレキシブルさも、このパロディーのポイントです。
フレキシブルな王子
実は王子は聡明なのです。自分の妻になる人は王太子妃であり、後の王妃です。そんな大事なポジションの人を、外見だけで選ぶということをしていません。
シンデレラは特に美人というわけではありませんでした。(だから継母たちから妬まれるということもなかったのですが)
そして、パーティーでどの娘も王子に熱いまなざしを送り、淑々としている中、シンデレラだけが王子に無関心でキョロキョロしていたのです。
シンデレラは仕立て屋で働いていたので、娘たちが着ているドレスを見て「これはアネゴの力作」とか「こっちは私が裾の部分を手伝ったやつ」とか思ってテンションが上がっていたのです。
だから、王子はシンデレラをやみくもに捜しまわる中、上記のことを思い出して、彼女は一体何者なのだろう、もしかして、、、
そこからが早かった。仕立て屋に直行です。
トップレディーの気品とは
池田理代子さんの、あまりにも有名な漫画『ベルサイユのばら』。この作品では、フランス革命とフランス最後の王妃マリー・アントワネットの悲劇が描かれています。
マリー・アントワネットはオーストリアの女帝マリア・テレジアの末娘で、政略結婚のため、フランス王室に嫁ぎます。
先王ルイ15世の崩御により、王太子妃から王妃となったマリー・アントワネット。その肖像画を母マリア・テレジアが見て嘆くシーンがあります。
そして、こう続きます。
国が栄えてるときは良くても、財政が傾くなどすると、たちまち「赤字夫人」などと心象が爆下がりです。
だから、パロディーシンデレラのように贅沢なものを身にまとわないパーソナリティーは、むしろトップレディーとして適切であり、安全でもあります。
また、シンデレラが仕立て屋で働いたのは偶然かもしれないし、服飾に興味があったからかもしれないし、お城のパーティーを見越してかもしれませんが、どうであれ、運が強いか、好きなことをして生きているか、商才(考える力や行動力)があるかということで、どれをとっても魅力的です。
それならなおさら、なぜ王子があまりにもあっけなく義姉と結婚したのか、もっとシンデレラを粘り強く口説かなかったのかという疑問が残ります。
結婚とは何か
私は、結婚というのは究極のところ、縁さえあればいいと思っています。それで添い遂げることもできるのです。
mixiではあえてあっけなく書きましたが、王子が義姉と結婚を決めるときのセリフはこうです。
欲を言えば、恋愛感情とか、性格が合うとか趣味や価値観が合うとか、そういうことも大切なのですが、それでも離婚するときはするのです。
やむを得ず離婚に至る場合もありますが、双方の努力で結婚生活を維持するのは、試練でもあり、醍醐味でもあると思います。
昔の王族などは、政略結婚とか当たり前で、顔も知らない人のところへ、自分の意志など全く無関係に嫁いでいくこともあったでしょう。
16世紀のヨーロッパを舞台に、当時としては珍しく、しかも貴族という身分を捨てて画家を志した女性を描いた『アルテ』という漫画があります。
12巻で、主人公アルテと、ある国の王女が話しているシーンがあるのですが、結婚を控えたその王女は凛とした確信を持ってこう言います。
人としてどうあるか、どう生きるか、考えさせられる作品です。
また、三浦綾子さんの『藍色の便箋』というエッセイ集があります。アラフォーの私が生まれた頃に出版された本で(欲しかったので古本で入手しました)、彼女が受け取った手紙へのお返事などが掲載されています。
目次を見ますと、この本は大きく3章に別れていまして、
1つめが「夫婦の愛」
2つめが「真実に生きること」
3つめが「親の愛のあり方」
です。「いの一番」という言葉がありますが、この本の「いの一番」、すなわち「夫婦の愛」の1番目が
「一生かかって夫婦になる」
という話です。A子さんという若い女性からの手紙に、三浦綾子さんが書いたお返事です。要所を紹介します。
略した部分で「結婚後一年が、意外と相手に失望する時期で、この期間がある意味で一番大きな危機かも知れない」という内容もあります。
年長者の知恵と優しさのありったけが詰まった返答に、A子さんはきっと大いに励まされたことでしょう。
もちろん、離婚して正解というケースもありますし、結婚に対する価値観は個人や国・時代で違うので一概には言えないと思います。
また、三浦綾子さんはクリスチャンなので、多少、キリスト教の結婚観も影響している回答なのかもしれません。
それでも、三浦綾子さんのおっしゃることは、人類が普遍的に意識すべきこと、時を超えて学びうるところがあると思うのです。
幸せとは何か
最後に、前述の『ベルサイユのばら』で母マリア・テレジアが娘マリー・アントワネットに託した思いと、私のパロディーシンデレラの結末を紹介して終わります。
時は流れ、王子は王に、シンデレラは仕立て屋の女主人になっていました。 シンデレラは王の良きビジネスパートナーとなり、王は庶民に好かれる良い王になりましたとさ。 めでたし、めでたし。
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