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Noteを初めて4か月。多くのビューとスキに感謝致します!(8/6に捧げる投稿)


ご挨拶

Noteで「ひろしまさんぽ」を初めて約4か月が経ちました。これまでたくさんの方々に小生の記事を読んでいただき、また、数多くの「スキ」をいただいたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
この場を借りて、改めて御礼申し上げます。

2024年3月20に始めてから8月4日までの集計です

これまで、戦争で失われてしまった「知られざる戦前の城下町広島」を、少しでも多くの方にお伝えしたい、という思いで続けてきました。小生の記事が、皆様にとって何かの「気づき」になってくれていたら幸いです。

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79年目の「ヒロシマの夏」に寄せて

戦後、79回目の「8月6日」がまもなくやってきます。この大切な「祈りの日」にあわせて、これに関連する過去の投稿記事を、再度ご紹介します。

「旧暦6月17日」と「新暦8月6日」は、なんと同じ日だった!

現在の「原爆資料館」付近は、戦前には「厳島大明神」と「誓願寺」があったところでした。旧暦6月17日の「厳島神社」の縁日には、多くの人々がお参りに訪れる賑やかな場所だったのです。

新暦を旧暦に直すと、19年に1回の周期で「旧暦6月17日」と「新暦8月6日」とは重なるのです。(これまで、昭和38と57、平成13、令和2年の4回が重なっています)

なんと「8月6日」のあの場所は、昔から広島に住む人々が大勢集まる「祈りの場」でもあったのです。
なお、知り合いの方から聞いた話しなのですが、祖父母の時代には、「大風呂敷を広げたような」話しをする人に対しては、「誓願寺の山門みたあな 話しじゃのう!」と言っていたそうです。誓願寺は、それほど大きなお寺だったのです。

爆心地の街並み復元図の「原爆資料館」付近(出典:中国新聞メディアセンターより)

詳しくは下の記事をご参照ください。

宮島の「厳島管弦祭」と「広島城下でのお祭り」は連動していた!

旧暦6月17日に行われる宮島の「厳島管弦祭」にあわせて、広島城下では
様々なお祭りがおこなわれていました。

まずは、広島城下の各町内が競って繰り出した「御供船(おともんぶね)」
があります。詳しくは下の記事をご参照ください。

次に、京橋川の河原では、何千人もの若者が松明を振りながら厳島神社に向かって祈る「火振り神事」もありました。詳しくは下の記事をご参照ください。

③ 現在の「広島県立美術館」は、戦前は、浅野家の所蔵品を展示する私設美術館の「観古館」だった!

「観古館」は太平洋戦争中には陸軍に接収され、米軍の太平洋艦隊やテニアン島の米軍基地の短波無線を傍受するための施設になりました。そこには、アメリカ帰りの「バイリンガルの女学生たち」が動員されていました。

最後に

毎年訪れる「8月6日」は、「平和への祈り」を新たにする日であると共に、原爆で失われてしまった「城下町広島」についても、思いをはせる日であって欲しいと願います。

なぜなら、過去を「知ること」は、未来を「どう生きるか」を考える時の大切な土台であり、それによって、より一層深い「思索」ができると思うからです。

尚、表紙のイラストは、優谷美和(ゆうたにみわ)|note さんのものをお借りしました。誠に有難うございました。

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