栄光なき天才

(動画を拝借します。)


自分は一部のダンサーの間では

「栄光なき天才」だと言われていたらしい。

現役中は一切それを知らず、引退後数年経ってから知った。

そう言われていた理由は

「ダンスバトルでの実績がないから」らしい。

そうはいっても

実は無名時代に一度だけダンスバトルでのタイトルを取ってはいた。

かなり昔のことなので知らない人間のほうが多いと思う。






自分はダンスバトルが大嫌いだった。



ダンスバトルというのは自分で選んだ音楽でなく

音楽のセレクターがおり

その人間によって無作為に音楽がかけられる。

しかも踊ることの出来る時間は正味2分~5分程度である。

正直

自分だけかもしれないけど

根本的なダンスの「巧さ」「質」「グルーヴ」に関しては

30秒あれば分かると思っている。

いくら派手な技をしようが

いくらトリッキーな音取りをしようが

いくら誤魔化そうとしようが

それがぶつ切りになっている「ムーブ」であればダンスではないし

音楽に合っていなければ「フィットネス」でしかない。

「ダンスであるかどうか」と「そのダンサーの質」のジャッジだけなら

時間はそんなにかからない。

でも一応数分は時間が与えられる。

その時間の中での内容によって善し悪しが判断されることになる。

どういう音楽がかかるかは行ってみないとわからないので

原則、即興となる。

だけど、本当に即興で踊れるダンサーはかなり少ない。

表向きは即興に「見える」というだけで

実はそうではないことが多い。

どういうことかというと

「どんな音楽がかかっても大丈夫であろう踊りをパッケージ化しておく」

音楽は本来、色々な楽器や音色で構成されているけれど

その中で「変化の少ない」音色だけに絞って

一定のリズムでのルーティーンをあらかじめ数パターン作っておく。

そうすることで

「どんな音楽がかかっても成立はしているように見える」

ということになり

それを「表向きの即興」として披露すれば

あたかも完全即興のように見えるというトリックである。

要するに「事前につくられた一連の踊り」ということになる。

本当に即興であれば、

むちゃくちゃ完成度が高いとか

あまりにも綺麗に踊れることは

まずない。

本物の完全即興では、

音楽を聴いてからしかダンスをすることは出来ないので

音楽より先に身体が動くということは絶対にない。

人間の身体の構造上

耳から音楽を聴いて身体の各部位が反応するまでに必ずタイムラグが生じる。

だから、必ずごくごくわずかなズレが生じるし

あまりにも綺麗すぎるということ自体がかなり不自然なことでもある。

なので、あらかじめルーティーンを作ってきているダンサーは

すぐにバレることになる。

また、

・音楽はなにがかかるか分からない

・時間が数分しかない

というダンスバトルの特性上

「ダンスの質よりもインパクトの大きさ」が優先されることが多い。

これが「ムーブのみの自称ダンサー」が増えた原因である。

数分の時間でかかる音楽というのは

「本来は続いているはずの音楽のごく一部を無理やり切り取ったもの」

であり、切り取ったものに関しては

「その音楽中でインパクトの強いもの、もしくは盛り上がるであろう」

部分になることが通例である。

その無理やり切り取られた部分で「ダンスをする」ということ

その内容でダンスの善し悪しが決められてしまうということ

であれば「よりインパクトの強いほうが印象に残りやすい」と考える。

それが「当たり前」となった結果

「ダンス」ではなく「ムーブ」しか出来ない

自称ダンサーが急増したのである。

また、自称ダンサーだけでなく

本来「ダンス」が出来ていたはずのダンサーまでも

「一つの音楽を一曲通して踊りきることが出来ない」

ようになってしまった。

なので今現在

たった一曲だけで「ダンスを魅せることが出来る」

リアルダンサーは絶滅危惧種だと思う。

そういう諸々の中でのダンスバトルのタイトルというのは

自分にとっては無価値に等しい。

なにより

自分は「音楽が最優先」型であるので

他人に勝手に音楽をセレクトされるというだけで嫌気がしていた。

完全即興であろうがダンス作品であろうが

「音楽を自分でセレクトしないと意味がない」と思っている。

現役時代

練習以外でしょっちゅう踊りに行っていたけど

音楽の好き嫌いがかなり激しいので

踊る曲と踊らない曲がめちゃくちゃハッキリしていた。

全ての曲で馬鹿みたいに踊るということはなかったし

場所によっては「この曲をかけて欲しい」とかなりハッキリ主張していた。

それぐらい音楽にはハングリーだったので

ダンスバトルという形式自体が自分には全く向いてないと思っていた。

よく自分は

「どうして練習は無茶苦茶いいのにバトルはからっきしダメなのか?」

と言われていたらしいけど

それは「自分で音楽が選べないから」という理由に尽きる。

物凄くシンプルな理由である。

もう、ダンスバトルは嫌で仕方がなかったので

最後は超変則でリズムを刻んだり、

完全に両目を閉じた状態で踊ったりだとか

ムチャクチャやっていた。

実際に間近で見ていた人間はビックリしていたけど

自分はよくこうやって練習していたのでいつものことだった。

ほぼ練習である。






時代の流れとして

ダンス作品の披露の場が激減し

ダンスバトル一色になってしまった。

なので自分も少なからず出ざるを得なかったけど

自分の場合

ダンスバトルの優先順位は極端に低く

ソリストとしての作品披露の場が最優先だった。

無価値なダンスバトルのタイトルよりも

ソリストの作品披露での拍手喝采のほうが

自分にとっては遥かに価値のあるものだった。

これが「栄光なき天才」の真実である。




(動画を拝借します。)




拙い文章お読みいただきありがとうございました。






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