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接客、3つの基本

たまに、清水さんが接客に対して大切にしていることって何ですか?と同業者の中堅クラスに質問されることがある。

その時、必ず答えることが3つある。

1.地域、或いは夜においてのその店の在り方、求められている存在意義や理由を考えること。

2.店や主人の向かいたい方向性を深く理解すること。

3.お客さんから好かれようとしないこと。
そうではなく、嫌われない努力をすること。

この3つは、誰が質問してきても答えるようにしている。
これは、夜の商売だけのことではないような気がする。昼であろうが夜であろうが、飲食店であろうがなかろうが、コンビニであろうが、ガソリンスタンドであろうが、クリニックであろうが、SMの女王様であろうがだ。

まず、地域やその街での店の立ち位置、在り方についてだ。
私の店の形態を、例えば銀座や新宿や六本木でやった場合、あまり繁盛するとは思えない。
いや、そんなこともないのかもしれないが、あまり自信がないのである。
地域の街の特性や人種を鑑みて、寄り添うように存在したい。
ある意味、データ的な考え方であるからマーケティング戦略に近い。
派手好きな人種の多い街であるなら、こちらもある程度の受けもタフさを持たねばならないし、エレガントさや品性を求められる高級な街ならば、余計なことを口にはせず、本質的な問答を心掛けなければならないように感じる。
つまりは、地域を読み、街に愛される理由を考えるのである。

次に、店や店の主人が、店をどうしたいのか?について考えなければならないと思う。
高級感や知性の溢れる街に、店主はあえて安価でワイワイガヤガヤとやれる店を作りたいのに、上品な会話や受け答えをしてしまっては、場の雰囲気が返ってよろしくなくなってしまう。つまりは、接客の濃度を自分でコントロールしなければならない。
街や店のスタイルに、自らがチューニングしなければ、街や店と同化できないのだ。
これを決めれば、しばらくはそのチューニングを変えてはならないのだから、安易に始めてはならないのかもしれない。

次に、好かれようとしない、ということだ。
お客に好かれようとすると、敏感なお客は必ずマウントを取りに来る。それ自体は特別悪いことではないのだが、店側が弱い存在に成りかねない。お客さんの言うことは絶対!ではないのだ。もし、お客に好かれようとした場合に何が起こるのか?客同士のトラブルを止められなくなってしまうのである。
そういうお客だらけになった店は、あまり長続きするとは思えない。店主やスタッフも持たないし、お客とも永い付き合いが難しい。
ならば、どうするのか?
好かれなくてもいい、嫌われない接客を心がけるようにしたい。
これは非常に重要だと思う。
お客さんにはこう思ってもらいたい。
「この店は、特別に良い要素は見つからないんだけど、なんとなく居心地がよくて、ついつい来ちゃうんだよなぁ」
これを言わせたら私の勝ちである。
むしろ、これを言わせるためにがんばっていると言っても過言ではないのかもしれない。
さて、これは一体なにが起きているのか?
お客側の脳内で何が起きているのか?
これを考えるのが重要なのである。

ここで重要なのは、嫌われたら終わり、ということだ。もう2度と来店はないのだから。
好かれるようにすることと、嫌われないようにすることでは、圧倒的に好かれようとする方がリスクが大きいのだ。
リスクとは嫌われることだ。
つまり、嫌われない接客努力とは、結果的に好かれる接客といっても良いのではないのだろうか?私はそう強く思うのである。

私は、人生の指針として、
「勝たなくても良い、負けない自分作り」
や、
「好かれなくてもいい、嫌われなければいい」
などの精神に強く惹かれている傾向がある。

ほかにも、結婚式や披露宴にはいかないが、通夜や葬式には必ず行くようにしている、というのもあるが、全体的に感情や精神の底を支える存在を目指しているように感じているのである。

もちろん楽しい時間も大切である。
だが、人生は辛く痛みを伴うことの方が多く、そんな時に足を運びたくなる店を目指しているわけだから、お客の感情の底に私のスコープは向かっているのである。

お客さんの心の底をしっかりと観察し、寄り添えることができるように努力を重ね、さらにめちゃんこ楽しい時間を提供できる接客者が、私の理想的な想像しうる限り最強のバーマンであり、超かっこいいスーパーヒーローである。

とはいえ、私はまだまだその領域には遠く及ばず、日々これ精進で励むばかりなのである。




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