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孤高

波木星龍は、中国を経由して流入した東洋運命学の継承者でもあり、
同時にその革命児という意味で、日本式運命学の極みと言っていい。

子平の大運法が、西洋占星術のプログレスに基づいている事を看破し、
子平の六合が、西洋占星術のサインと支配に基づいている事を見抜き、
暦法を含め、四柱推命の成り立ちと仕組みの根拠にまで精通している。

これを発表した例は、日本は元より中華圏も含め、一人もいない。

前人未到の研究成果と言っていい。

四柱推命しか知らなければ、永久に知る事ができない。

中国古代文明に精通し、風水は 年より季節、理論より自然を重んじる。

各占術の仕組みと根拠を調べ抜き、実占で通用するものだけに淘汰する。
星平海会を軸に、易占、風水、相術を駆使し、多角的に状況を掌握する。

アングルと天体を主体に、タイトなマイナーアスペクトを使いこなし、
図形的、幾何学的に相を捉える、アスペクト占星術の第一人者でもある。

アスペクト占星術の特徴の一つは、トランジットの絞り方の厳しさで、
ほぼ、トランジットだけで結果を出せるような独自法則に特色がある。

これに於いては、波木星龍の右に出るものは ないように思われる。

出生図のアスペクト図形を手相のように捉えて、瞬時に特徴を掴む、
という点にも特色があり、所謂コンフィギュレーションとも異なる。

技法がすっきりと淘汰されていて、確かである。

実占ベースで独自の観方に到達せざるを得なかったという鍛えが特徴で、
総じて東洋的、日本的で、よく淘汰された "総合占術" といった感がある。

私の人生で、最も的中率の高い実占家は、誰だったか、と問われれば、
インドのディーパック・ビサリア、日本の くわの擁齋、日本の波木星龍、
の三人が真っ先に頭に浮かび、取り分け、波木星龍だったように思われる。

彼は碩学だが、インド占星術や古典占星術それ自体には深入りしていない。

必要ない。

いわゆる占星術の歴史と変遷過程、根本的な仕組みを理解している事から、
実際に信用でき、通用する方法は、独自に組み直し、編み出す事ができた。

その占星術は、職業実占家らしく 非常に実戦的で的確な淘汰に特徴がある。

彼が "不遇の天才" と呼ばれた所以である。

森谷リリ子は、古典占星術の碩学であり、占星術の起源と展開に精通する。

古代ギリシャ、ヘブライ、ペルシャ、アラビア、ラテン、ヨーロッパ、
各時代の占星術技法とシステムの組み合わせ、仕組みを熟知している。

西洋占星術に於いて、日本で日本語でその真髄を伝えるという意味で、
この人の右に出る、西洋占星術の知識はいない、と、私には思われる。

丹念な一次資料の調査から、
アセンダントの起源が エジプトにある事を見抜いた。

研究の慎重さ、深さ、着眼、検証、淘汰、選定、謙虚さ、尋常ではない。

正直、この人がいなければ、
日本で本物の西洋占星術の基礎を理解するのは難しい、とすら思われる。

この知識が比較的最近まで日本に齎されなかったのは、英語圏、
"英語"の範疇に独占された情報を、誰も日本語で伝えようとしない、
という点にあり、厖大な情報の中から正しい基礎を得られなかった。

無論、間違った古典の知識はネット上に溢れていた。

だが、古典占星術は、正しい基礎が理解できていないと、
洋書に手を出しても情報に振り回されるだけなのが常である。

マンデン、ネイタル、ホラリー、イレクションといった基礎に通じれば、
他の占術は必要ないのが、古代から現代の知識を集大成した古典占星術。

古典占星術とは、アラン・レオ以前の本来の西洋占星術の姿と言えるし、
継承された集大成とも、完成された本物の西洋占星術と言う事もできる。

ディグニティの使い方は一般に理解されているようなものではないし、
現代の古典占星術は、土星外惑星も当然活用するし重要な要素となる。

これからの西洋占星術は、古典占星術の知識を土台として持たない限り、
どこか抜けていて、片手落ちな印象を与える感を否めない、と思われる。

波木星龍と森谷リリ子は、共に独学者であり、孤高の占星家である。

見当違いな、海外の流行に毒される人々を、冷ややかに見ているだろう、

と、思う。

私は占星術を学ぶ上で、主にこの両氏の著述を、
文字通り 擦り切れるまで読み込んだのが幸いした。

東洋的な有機的直観と、西洋的な厳密な分析の両方を学べた。
東洋は端的に、西洋は細かく、それぞれ事実と符合する特徴がある。

東洋の運命学の一貫性の無さに振り回されず、洋書の内容に騙されない。
これは、両氏の経験がもたらしてくれた最大の恩恵であり、賜物である。

事実との符合を見出す、という点に於いて "迷わない" で済むのだから。

また、両氏がメディアとも、談合とも、コネとも、結び付く事はなく、
独力で生きる "孤高の実占家" である事も、特筆されるべきと思われる。

また、両氏とも 古代エジプト研究者である事も興味深い。

私は両氏と面識はないが、何はなくとも 元気でいて欲しい、と願っている。