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心に「鬼」を持つ人間は、他人に諭されても聴こえない。自分で自覚し自問自答しない限り外に出すことができない。そしてそれはとても困難だ。

それが何かの影響で入り込んだのか、幼少期に何か悲しい出来事があったために、心に作り上げた盾なのかはわからないが、確かにそう言った人間は存在していて、途中から鬼のような顔になる人もこの長い人生で観てきた。

前は良い人だったのに、どうしたんだろう?と。

心の中の「鬼」は、思考回路を支配する。

傷ついたものが心の奥に隠れているのなら、その心を癒してあげたいと思うこともあるけれど、鬼は攻撃的なものだから近づくことさえ普通の人間にはできない。

鬼ヶ島にいた鬼たちは、自分たちが全て正義だ。
しかしそれは幻想で、本物の正義であった桃太郎に仕留められる。

宗教的考え方でもあるが、自分たちが正解だと、そう思い込んでしまうのだ。そういう思考回路に、心に潜む鬼が仕向ける。

昨日、人伝いに行ったことも聴いたこともない場所からの話が送られてくるのでそれを読んでいたらTwitterのDMが壊れてしまった。今も直っていなくて、少し不便だが聞かなくていいということなんだろう。

電波に干渉するのか、こういうことはよくあるが早く直るといいなぁ。

「鬼」の話に戻るが、鬼たちは不思議な勘違いをする。

「他人が不幸になると嬉しく、自分も幸せになる」と思い込んでいるのだ。

人が不幸な目にあってざまあみろと思う感情など一瞬で、その手に持つスマートフォンやPCなどからいざ離れればいつもの日常、部屋、鏡に映るいつもの自分の姿。

他人の不幸を笑っている姿を鏡で見れば、さぞ醜い鬼の顔になっていることだろう。自分は何と醜いのだろうと、このままではいけないと、そのことに気付かない限り、心の鬼が出ていくことは難しい。

そして自分を省みることを怠ると、その鏡に映った鬼の形相は二度と戻ることがないだろう。

今日は節分。福が内に来てもらうためには、鬼を外に出すことが先だ。

山口葵

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