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教育は戦い 〈意味にとって教育とは何か3〉
昨年度の修学旅行は戦いだった。
自分たちでお金を稼いでいくという目標を立てて、様々なことをして、最終的に24万円を集めて自分たちのお金で修学旅行に行ってきた。
期日までに目標金額を集めるその取り組みはまさに戦いだったわけだけど、真に困難なのはお金を集めることではなくて、子どもたちの認知を変えることだと心底感じた。
「どうせ無理」
「子どもにお金は貯められない」
「みんなと協力できない」
そうい
意味にとって教育とは何か 1
別れが美しいのは、それが死を予感させるからである。
「もう2度と会えないかもしれない」という有限への自覚が、今の空間を尊いものにする。
いつでも連絡が取り合える現代においては、そういった感傷も薄くなりつつある。
けれども、共に過ごしていた時間が永遠に失われるのは少なくとも確かだ。
失われるものへの悲しみは、失われたものへの郷愁の予感という人間が根源的にもつ感覚であるから、いつの時代になって
権力装置と欲望のアレンジメント
学校のような権力装置が、人々の欲望のアレンジメントによって機能することを明らかにしたのはドゥルーズです。
今回は、そのドゥルーズの哲学をとてもわかりやすく解説した國分功一郎の『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)をもとに文章を書きたいと思っています。
そもそもここでいう権力とは、ある一定の目的を持って、一定の戦略を練り、人間の行為に働きかけることによって、望ましい行動を起こさせる力のことです
エピステーメーと不登校
フーコーの代表作に『言葉と物』があります。
副題は「人文科学の考古学」とあり、膨大な資料の研究と精緻な分析によって〈主体哲学〉の起源と来歴を明らかにし、打破しようとする野心的な作品です。
難解でありつつも、その分析の量と質は凄まじいレベルで、名著です。
さて、フーコーは〈エピステーメー〉という概念を提唱しました。
エピステーメーとは、時代ごとに存在する、あらゆる知の成立条件を規定する認識体
「待つ」ことと「待たぬ」ことのあわい
私たちの学校がテレビ局から取材を受け、その様子が全国放送された。
その時のタイトルが「待てば育つ」だった。
待つことが難しい世の中になったとよく聞くし、よく言う。
LINEを送ればすぐにメッセージが返ってくる。
検索ワードを打ち込めば分からないこともすぐに分かる。
頼んだ商品はすぐ手元に届く。
自分が「やりたい」と思ったことが、即時に満たされる時代になった。
欲求が満たされるまでの時
「怠学」「学校恐怖症」「学校ぎらい」「登校拒否」「不登校」③
学校のような、「ある者にある行動を強いる」機関のことを権力装置と呼ぶ。
権力装置では、その権力を使って理想的な状態を作り出すことを目的としている。
学校であれば、知識や学ぶ姿勢、集団の中での生き方などを身につけた子供を育てることをねらっている。
さて、ドゥルーズは、この権力装置について非常に興味深い分析を行なった。
「権力装置が機能するためには、人々の欲望がなくてはならない」というのだ。
「怠学」「学校恐怖症」「学校ぎらい」「登校拒否」「不登校」②
なぜ学校は子どもにとってストレスフルな環境になってしまったのだろうか。
よく聞くのは「教師は学校でうまくいってきた優等生だから、できない子の気持ちがわからないんだ」という説明だ。
確かにそういう面はある。
自分の枠に子どもを押し込んで、満足そうにしている教師を何人も見てきた。
しかし、そうすると最近になって不登校が増えてきた事実は説明できない。
教師は昔から同じシステムで採用されてきたわ
「怠学」「学校恐怖症」「学校ぎらい」「登校拒否」「不登校」
「なんで不登校って増えているんだろう?」
という質問には、答えがない。
1970年代の精神科医によれば、家庭でのしつけがまずいので「学校恐怖症」は起こるらしい。
また、1980年代の旧文部省によれば、本人の性格によって「登校拒否」は起こるらしい。
あるいは、1990年代のフリースクールによれば、学校に問題があるから「不登校」が起こるらしい。
そして、2000年以降は…
やめておこう。
二の矢・三の矢ノート
何をやっても三日坊主、竜頭蛇尾、意欲喪失という四文字熟語で説明可能な今までの私の人生において、このホームページ制作を一ヶ月も続けることができたのは、有史以来の大偉業であるということは誰も疑うまい事実である。
それは単(ひとえ)に周りのサポートがあったおかげであるが、そういった外部的な要因を除いて、私にどんな変化があるのかと考えてみると、「二の矢・三の矢ノート」の発明は特筆せざるを得ないだろう。
オルタナティブスクールを分ける
『オルタナティブスクールの歩き方』を立ち上げて5日目。
想像もしなかった協力がたくさんあり、作業がとてつもないスピードで進んだ。
熊本、宮崎、そしてもっともボリュームがあり時間がかかると考えていた福岡も掲載が完了した。
さながら戦国武将の気分で、九州統一まであとわずか、そんな気分だ。
ちなみに、やっているのは各学校・団体のホームページを見て、こちらが必要とする情報を見つけ、抜き取り、まとめ