スミス@WING SCHOOL

ジャン=リュック・ナンシー曰く、「有限性は共出現する、つまり曝し出される、それが共同体…

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ジャン=リュック・ナンシー曰く、「有限性は共出現する、つまり曝し出される、それが共同体の本質なのである」/WING SCHOOLスタッフ/全国のオルタナティブスクールが検索できるサイト『オルタナティブスクールの歩き方』

マガジン

  • 学校を立ち上げた1年目の日記

    2018年、僕は学校の立ち上げに参加しました。 2年間の準備期間を経て、大学卒業と同時に学校を立ち上げることになり、なんの経験もない中で試行錯誤する日々が始まりました。 このマガジンは、学校の立ち上げの中でどんなことが起きるのかを記録として残したものです。

  • おるたな考

    全国のオルタナティブスクールを分類する中で得た学びを発信していきます。

最近の記事

教育は戦い 〈意味にとって教育とは何か3〉

昨年度の修学旅行は戦いだった。 自分たちでお金を稼いでいくという目標を立てて、様々なことをして、最終的に24万円を集めて自分たちのお金で修学旅行に行ってきた。 期日までに目標金額を集めるその取り組みはまさに戦いだったわけだけど、真に困難なのはお金を集めることではなくて、子どもたちの認知を変えることだと心底感じた。 「どうせ無理」 「子どもにお金は貯められない」 「みんなと協力できない」 そういう認知が、子どもたちの根底にこびりついていることがある。 それを「いや、できるん

    • 長縄 〈意味にとって教育とは何か2〉

      昨年度のヒット作が長縄だったのはめちゃくちゃ意外だった。 みんなで一斉に飛ぶやつではなくて、次々と飛んでは抜けてを繰り返し、大きく八の字を描きながら子どもたちが永遠に飛んでいく、あれ。 苦手な子もいて、(どうかな〜)と内心思っていたけど、最終的にはみんなが「めちゃくちゃ楽しかった!もっとやりたい!」という最高の結果になった。 思えば、僕が小学生の頃、長縄は苦しい時間だった。僕は得意だったから楽しかったけど、苦手な子は苦しそうな顔をしていた。 何事も大事なのはやり方で、それ

      • 意味にとって教育とは何か 1

        別れが美しいのは、それが死を予感させるからである。 「もう2度と会えないかもしれない」という有限への自覚が、今の空間を尊いものにする。 いつでも連絡が取り合える現代においては、そういった感傷も薄くなりつつある。 けれども、共に過ごしていた時間が永遠に失われるのは少なくとも確かだ。 失われるものへの悲しみは、失われたものへの郷愁の予感という人間が根源的にもつ感覚であるから、いつの時代になっても無くならないだろう。 これが、結果として失われた、というのでは感傷はありえな

        • 弱く待つ

          哲学者の鷲田清一は『「待つ」ということ』の中で、「待つ」ことの哲学的な意味について述べています。 待つことが難しい世の中になったとよく聞くし、よく言います。 LINEを送ればすぐにメッセージが返ってくる。 検索ワードを打ち込めば分からないこともすぐに分かる。 頼んだ商品はすぐ手元に届く。 自分が「やりたい」と思ったことが、即時に満たされる時代になりました。 欲求が満たされるまでの時差を、人は待つものでした。 しかし、サービスは即応的に、人々の果てしないフローを一

        教育は戦い 〈意味にとって教育とは何か3〉

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        • 学校を立ち上げた1年目の日記
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        • おるたな考
          9本

        記事

          権力装置と欲望のアレンジメント

          学校のような権力装置が、人々の欲望のアレンジメントによって機能することを明らかにしたのはドゥルーズです。 今回は、そのドゥルーズの哲学をとてもわかりやすく解説した國分功一郎の『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)をもとに文章を書きたいと思っています。 そもそもここでいう権力とは、ある一定の目的を持って、一定の戦略を練り、人間の行為に働きかけることによって、望ましい行動を起こさせる力のことです。 権力装置は、望ましいとされるある一定の行動を対象者の身体に再現することを目

          権力装置と欲望のアレンジメント

          エピステーメーと不登校

          フーコーの代表作に『言葉と物』があります。 副題は「人文科学の考古学」とあり、膨大な資料の研究と精緻な分析によって〈主体哲学〉の起源と来歴を明らかにし、打破しようとする野心的な作品です。 難解でありつつも、その分析の量と質は凄まじいレベルで、名著です。 さて、フーコーは〈エピステーメー〉という概念を提唱しました。 エピステーメーとは、時代ごとに存在する、あらゆる知の成立条件を規定する認識体系のことです。 例えば、17〜18世紀(古典主義時代)のあらゆる知を成立させて

          エピステーメーと不登校

          教育と〈面〉

          ギブソンは『生態学的視覚論』の中で、アフォーダンスという概念を提唱しました。 アフォーダンスとは、環境が知覚者に与える意味や価値の性質を表しています。 どういうことかというと、たとえば椅子があるとします。 普通、人は「椅子に座る」と表現します。 この時、椅子に座ることは人が意識して起こした行動だと考えられます。 しかし、ギブソンはそう考えません。 ギブソンは、「椅子が人に座るように働きかけた」と考えるのです。 つまり、人間は世界から語りかけられ、その中で行動を決

          「待つ」ことと「待たぬ」ことのあわい

          私たちの学校がテレビ局から取材を受け、その様子が全国放送された。 その時のタイトルが「待てば育つ」だった。 待つことが難しい世の中になったとよく聞くし、よく言う。 LINEを送ればすぐにメッセージが返ってくる。 検索ワードを打ち込めば分からないこともすぐに分かる。 頼んだ商品はすぐ手元に届く。 自分が「やりたい」と思ったことが、即時に満たされる時代になった。 欲求が満たされるまでの時差を、人は待つ。 サービスは即応的に、人々の果てしないフローを一瞬も遮ることな

          「待つ」ことと「待たぬ」ことのあわい

          「怠学」「学校恐怖症」「学校ぎらい」「登校拒否」「不登校」③

          学校のような、「ある者にある行動を強いる」機関のことを権力装置と呼ぶ。 権力装置では、その権力を使って理想的な状態を作り出すことを目的としている。 学校であれば、知識や学ぶ姿勢、集団の中での生き方などを身につけた子供を育てることをねらっている。 さて、ドゥルーズは、この権力装置について非常に興味深い分析を行なった。 「権力装置が機能するためには、人々の欲望がなくてはならない」というのだ。 どういうことだろうか。 学校を例にあげて考えてみよう。 給食の残菜をクラス

          「怠学」「学校恐怖症」「学校ぎらい」「登校拒否」「不登校」③

          「怠学」「学校恐怖症」「学校ぎらい」「登校拒否」「不登校」②

          なぜ学校は子どもにとってストレスフルな環境になってしまったのだろうか。 よく聞くのは「教師は学校でうまくいってきた優等生だから、できない子の気持ちがわからないんだ」という説明だ。 確かにそういう面はある。 自分の枠に子どもを押し込んで、満足そうにしている教師を何人も見てきた。 しかし、そうすると最近になって不登校が増えてきた事実は説明できない。 教師は昔から同じシステムで採用されてきたわけで、何か重大な変更がされたわけではない。 また、別にできない子ばかりが不登校

          「怠学」「学校恐怖症」「学校ぎらい」「登校拒否」「不登校」②

          「怠学」「学校恐怖症」「学校ぎらい」「登校拒否」「不登校」

          「なんで不登校って増えているんだろう?」 という質問には、答えがない。 1970年代の精神科医によれば、家庭でのしつけがまずいので「学校恐怖症」は起こるらしい。 また、1980年代の旧文部省によれば、本人の性格によって「登校拒否」は起こるらしい。 あるいは、1990年代のフリースクールによれば、学校に問題があるから「不登校」が起こるらしい。 そして、2000年以降は… やめておこう。 原因探しはキリがない。 家庭の問題かもしれないし、本人の問題かもしれないし、

          「怠学」「学校恐怖症」「学校ぎらい」「登校拒否」「不登校」

          二の矢・三の矢ノート

          何をやっても三日坊主、竜頭蛇尾、意欲喪失という四文字熟語で説明可能な今までの私の人生において、このホームページ制作を一ヶ月も続けることができたのは、有史以来の大偉業であるということは誰も疑うまい事実である。 それは単(ひとえ)に周りのサポートがあったおかげであるが、そういった外部的な要因を除いて、私にどんな変化があるのかと考えてみると、「二の矢・三の矢ノート」の発明は特筆せざるを得ないだろう。 「二の矢・三の矢ノート」とは何か。 これは、私が自分の特性をサポートするため

          二の矢・三の矢ノート

          オルタナティブスクールを分ける

          『オルタナティブスクールの歩き方』を立ち上げて5日目。 想像もしなかった協力がたくさんあり、作業がとてつもないスピードで進んだ。 熊本、宮崎、そしてもっともボリュームがあり時間がかかると考えていた福岡も掲載が完了した。 さながら戦国武将の気分で、九州統一まであとわずか、そんな気分だ。 ちなみに、やっているのは各学校・団体のホームページを見て、こちらが必要とする情報を見つけ、抜き取り、まとめるという作業だ。 これをすべての学校で行う。 これがなかなか大変だ。 最初

          オルタナティブスクールを分ける