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「怠学」「学校恐怖症」「学校ぎらい」「登校拒否」「不登校」②



なぜ学校は子どもにとってストレスフルな環境になってしまったのだろうか。


よく聞くのは「教師は学校でうまくいってきた優等生だから、できない子の気持ちがわからないんだ」という説明だ。


確かにそういう面はある。


自分の枠に子どもを押し込んで、満足そうにしている教師を何人も見てきた。


しかし、そうすると最近になって不登校が増えてきた事実は説明できない。


教師は昔から同じシステムで採用されてきたわけで、何か重大な変更がされたわけではない。


また、別にできない子ばかりが不登校になっているわけでもない。


逆に、できすぎる子が不登校になるというパターンもある。


現在の不登校の問題は、もっと複雑だ。


こうした、教師に問題の原因をもとめるタイプの論は、昔から根強くある。


校内暴力が顕著になった80年代、教師は学校という統治権力の象徴であり、教師に反抗することが学校を破壊することにつながると信じられていた。


しかし、考えてみれば、教師は学校という巨大なシステムのほんの一部に過ぎない。


教師に原因を求め、徹底的に批判し、反抗したとしても、巨大なシステムそのものはびくともしない。


わかりやすい一者に原因を求め、ただ現場で消耗し、終わればそれまでと同じ日常が繰り返されていく。


そんなことが何十年にもわたって続いてきた。


さて、教師に原因を求めるタイプの議論があるのならば、その反対に家庭に原因を求めるタイプの議論もある。


主にこの論は教師たちの間でなされている。


もちろん、先ほどと同じように、これもまたわかりやすい一者に原因を求めているという点で不毛だ。


教育の世界には「親は教師のせいにして、教師は親のせいにして、二人そろうと社会のせいにする」というジョークがある。


まさに、この言葉に象徴されるような状況が、不登校問題においても起こっていると考えられる。


もちろん、個別具体的な内容では、「教師のせい」であることもあるし、逆に「家庭のせい」であることもある(虐待などその典型だ)。


しかし、「日本において不登校者数が増加しており、なんらかの形で学校がストレスフルな状況になっている」という全体的な問題を考える際には、


わかりやすい一者に原因を求めるタイプの論は、不満をガス抜きする程度の効果しかない。


では、現状のストレスフルな環境はなぜ生まれるのか。


私が思うに、現在生じているのは「欲望のズレ」である。


(次に続く)

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