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二の矢・三の矢ノート

何をやっても三日坊主、竜頭蛇尾、意欲喪失という四文字熟語で説明可能な今までの私の人生において、このホームページ制作を一ヶ月も続けることができたのは、有史以来の大偉業であるということは誰も疑うまい事実である。

それは単(ひとえ)に周りのサポートがあったおかげであるが、そういった外部的な要因を除いて、私にどんな変化があるのかと考えてみると、「二の矢・三の矢ノート」の発明は特筆せざるを得ないだろう。

「二の矢・三の矢ノート」とは何か。

これは、私が自分の特性をサポートするために生み出したノート術である。

私が何か活動を行うときのパターンは、典型的に四つの段階に分けられる。

まず、「うわ!これめっちゃおもしろい!」と最初はノリノリで取り組む段階である。ここは問題ない。

次にくるのは、「ちゃんと計画たててやっていこ!」と自分に義務を課し始める段階である。ここが諸悪の根源である。この計画は明文化されたものではなく自分ルールであるが、自分ルールに縛られ苦しくなる傾向が、頭でっかちな人間にはどうやら多いらしい。

そうして1週間くらい経つと、「やらなきゃな~」という義務感に変質する段階が訪れる。ここではもう半分くらい嫌になっているが、当初の勢いの惰性によってかろうじて前に進ことができている。

そして、最終的に「義務になるくらいなら、むしろやらない方がいいのでは?」と謎の逆ギレ自己肯定に帰着する段階を経る。

こうして、取り組みは終結を迎える。

このサイクルを、私は人生で約800万回繰り返してきた。

さすがに学習能力のない私も己の愚かさに辟易とし、対策に乗り出さざるを得なくなった。

このサイクルに陥る原因は何か。

行きつけのスチームサウナでビッグデータばりに解析していると、あるひらめきが訪れた。

考えてみれば、私は想定外のことが起きた時に、その歩みを止めていたのである。

私は、当初考えていたことにはなかったこと、今の自分ではどうにもできないことが生じた時、「面倒臭い」なんて言葉が意識にのぼるまもなく、無意識的に行動を放棄していたのである。

例えば、ホームページの制作方法を調べなければいけなかった時。

例えば、思ったよりも人数が集まらなかった時。

例えば、考えていたよりも成果が出なかった時。

そんな僅かな段差が、物事を進める時には必ず生じる。

クラウゼヴィッツが「摩擦」とよんだものだ。

最初、道を見た時には気づかなかったけれど、実際に歩いてみるとわかる勾配、段差、難所がさまざまなレベルであり、それに気づいた時「やーめた」と放り出してしまうことが多々あったのだ。

考えてみれば当たり前すぎるほど当たり前のことであるが、人間の自動思考とは恐ろしいものである。

知らず知らずの間にその選択をしているから、実践するということの難しさを感じる。

きっと、この現象によって挫折してばかりの人もたくさんいるのだろう。

御多分に洩れず、この私もそうだったのである。

この事実に気づいた私は、サウナの中で「ユリイカ!」と叫びたい衝動に駆られたがそういうわけにもいかず、速やかに水風呂に入り、外気浴でしっかりと"整えた"後に、その対策を練った。


そうして生まれたのが、「二の矢・三の矢ノート」である。
(次回に続く)

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