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モノクロ/カラー

小学校の卒業式の日だったかな、先生にこう言われたことを覚えている。
「君たちは真っ白なキャンバスだ。これから何色にでも染めていける」って。
これを聞いたとき、しっくりこない感情が湧いてくるのが分かった。

だって、世の中には真っ白なキャンバスや画用紙を、版画の代わりにして、ドス黒いナニカをうつしてくる人だっている。それはもう人と言えるのか分からないけれど、元人間。まるで、自分次第でカラフルにできるなんてことを言うようだけれど、実際、より大きな存在によって歪められてしまうものでもある。

そういえば言ってたな、ああこれは誰かに伝えたいことなんだけれど、それこそ昔の自分との対話でありたいんだけれど、そうだね。
「小学校では守られていて、中学、高校、大学に行くにつれて、徐々に自由が手に入る」とも言っていた。自由になると。

だが一方、守られねばならない環境や状況下で、監禁されているような子だっている。それは安全基地じゃなくて、ただ暴力暴言や、マルトリートメント(不適切な養育)の温床。

先生が言うみんなに、私がおそらく含まれていないことくらい分かっていた。

悪意なんてないけれど、どうしてもハズレざるを得なかった。集団のためにか分からないけれど。病原菌は、鬼は外というように、ひきこもって、群れから外れることしかできなかった。なんという悪態でしょう~まあしょうがないかな。;;涙マークでもつけられそうだけど。

少しだけ共感するようなことがあるのだけど、どうしてかな。

君が何が好きかなんて分からないけれど、きっとお互いそういうものがあって、共有して、一番君が分かっていて、笑顔になれたら嬉しいね。体感でもいいよ。君が感じたこと全てが君にとって正しいことだ。

その人のそれぞれの経験といったように、まるで誰とも重ならない体験や行動というものがある。あるいはまた、そこから抱くものとか、感情とか、それこそ、まるで何通りにもカスタマイズされたみたいに、未だ誰もかつて聴いたことのない周波数のクジラの歌のように、そこにある。それが、もちろん私にもある。孤独じゃないけれど、静かにそこにある。

人間には自由があるんだ。けどね、弱かった。弱かったんだ。誰だってそう。どんなに頭のいい子だって、スポーツが得意な子だって、例えばサバンナの森で生きた子だって、守られながら育てられる必要があるのだ。

それなのに、私だけじゃない。どうして、これだけ悲しむ子がいるんだ?命が作られたのはなぜなんだ?命が生かされたのは何故なんだ?

ネネちゃんのサンドバッグが、例えば洗濯されるのは、またきれいになって何度も殴りつけられるようになるためなのか?違うだろう?

あなたの感情は、守られるべきものだから。悲しいのも、辛いのも、眩しいのも。このままで、移ろいながら、いよう。きっと、あなたにしか見れない世界がある。それは孤独じゃない。当たり前の、愛でられるような、博愛と慈愛の、カラフルな、君にしか見れない世界だ。

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