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「でんでらりゅうば」 第20話

 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。
 明け方、安莉は外で奇妙な音がしているのに気づいて目が覚めた。室内は夜明けの気配に包まれているのに、なぜかやけに暗い。暗がりのなか、手探りでたぐり寄せた携帯電話の時計を見てみると、午前六時だった。
 いつもなら寝室のカーテン越しに、明け方の薄明がうっすらと感じられるはずだが……。まだ雪は降り続けているのだろうか。そのせいでこんなにも外が暗いのだろうか。
 いぶかしみながら、ベッド脇のカーテンを開けた安莉は目を見張った。寝室の窓一面が、雪の壁に覆われているのだ。昨夜の大雪は、ひと晩のあいだに窓を埋め尽くすほど高く積もったのだろうか。でも高山とはいえ、ここは九州の山中だ。そんなに雪が降るものだろうか。
 不安にかられながら、寝室を出た。すると、居間のガラスサッシも、半分ほど雪で覆われようとしているところだった。
 何てこと――。大雪に閉じ込められてしまった。
 慌てて阿畑の携帯に電話をかけた。だが、呼び出し音は鳴るものの、相変わらず応答がない。そのあいだも、サッシを覆う雪はどんどん高さを増してゆく。携帯をスピーカーモードにして呼び出し音をかけたまま、安莉はサッシのほうへ駆け寄った。
 そのときだった。
 ザッ、ザッ、という奇妙な音の発生源を、安莉は目の当たりにすることになった。今や胸の高さまで届いた部屋の周囲を埋めつつある雪の飛んでくる先に、シャベルの切っ先が見えたのである。
 えっ……。
 続いて安莉が見たものは、サッシの外にすでに高くでき上がった雪の斜面を上ってくる、村人の顔だった。外は薄暗かったが部屋のなかよりは明るく、安莉にはその人物の顔がはっきりと見えた。
 それは、かげみつだった。
 秋の木の実採りのときにしっかりと証明した足腰の強さを見せて、御影満は傾斜のきつい雪の斜面を上り、斜面上の雪をシャベルですくっては、雪の壁を更に高くするためにぽーんと前に放った。満が放る雪の塊が、サッシのガラスを叩いてボテッと音を立てた。
 そのとき、安莉と満の目が合った。満は顔色ひとつ変えるわけでもなく、まるで別人のように無表情な顔で、安莉の目を見据えたまま平然とその風変わりな雪掻きを続けるのだった。安莉はサッシに取りつき、ガラスをドンドンと叩いて訴えた。
「何をしてるんですか! 何でこの窓に雪を?」
 だが、その声を聞いても満は一糸も心を乱されぬようで、何も聞こえないかのように相変わらず無表情のままシャベルで雪を掬ってはかけ続けた。
 気がつくと、建物の周囲全体から同じようなザッザッという音がしていた。時折、難儀そうにふう、と溜息をつく声も聞こえる。
 ――この人たちは何をしているんだろう――。
 急激に恐怖の密度が増した。あのとき……旧道を歩いてきた外国人に警告されたとき、彼の言うことを聞いてすぐにこの村を出るべきだったのだ。
 スピーカーモードにした携帯電話の呼び出し音は、阿畑の応える声を聞くことのないまま、いつまでも無情に鳴り続けていた――。

 

 ――どれくらいの時間が経ったのだろう。長いあいだ、アパートの外からは何の物音も聞こえてこなかった。安莉は部屋の真ん中に縮こまって座り、大きく開いた目を周囲に巡らしながら、耳をそばだてていた。怯えと困惑と後悔が苦い味を伴って押し寄せてくる。どうしよう。これからどうなるのだろう。雪ですっかり覆われた窓とサッシからは、一条の光も入ってこない。薄暗闇のなかで安莉は困惑した。
 〝作業〟を終えたらしい村人たちは、銘々声も掛け合わずに帰っていったようで、厚い雪の向こうに感じられていた大勢の人の気配はいつの間にか消えていた。
 あの、目が合ったときの御影満の顔が思い出された。あの無表情な顔は、いつかどこかで見たことがあるような気がした。記憶を探る内、ふと安莉は思い当たった。それは、この村に来るときにバスに同乗していた、この土地の人々の顔だった。阿畑と話している安莉をバスの窓から見下ろしていたあの人たちの顔を、安莉はまざまざと思い出した。あの、威嚇いかくを含んだような、放埓ほうらつとして見えながらもじっと一点を集中して見据えている、相手のなかに何かアラを探そうとうかがってでもいるかのような、いかにしても不可解な表情であった。

 いくら待っていても、何も起こらず、物音ひとつ聞こえなかった。日が射さないせいで、今どれぐらいの時間帯なのかもわからない。
 ふと、気を取り戻した安莉は、携帯電話の時計を見た。午前十時だった。目を覚ましたのが六時ごろだったので、それなりの時間は経っている。
 安莉は台所に行って、水道の蛇口を捻って一杯の水を飲んだ。水はいつものように、普通に出た。電灯を点けてみた。これも通常通りに点いた。どうやら彼らは生活のインフラを断つことはしなかったようである。安莉は少しだけほっとした。
 ほっとすると、ふと、あの外国人のことを思い出した。マイケル・サンズ。彼の連絡先が、携帯電話に入っている。すがるような気持ちで、電話をかけてみた。
 だがそのとき安莉は、重大なことに気づいた。携帯電話が繋がらなくなっている。スマートフォンのWiFiを示す電波のマークも消えていた。
 パニックを起こした安莉は部屋のドアを開け、階段を駆け下りていって玄関のドアを開けようとした。開かない。ここもまた、重い雪によって閉ざされているのだった。
「助けてーっ! 誰かここから出してーっ! 誰かーっ!」
 全身の力をこめてドアを叩き、声を限りに叫んだ。だが、叩く音はくぐもった音となって跳ね返り、声はドアの外のぶ厚い雪の壁に遮られた。
 くたくたになるまで叩き、叫び続けると、とうとう安莉は力尽きてその場にしゃがみ込んだ。鳩尾みぞおちの辺りにヒクヒクと痙攣が起こり、そのたまらない感覚は胃を締め付けるようにしながら上に上がってきて吐き気をもよおした。恐ろしすぎて、息もできなかった。パジャマ姿のまま冷たい玄関の床に座り込んで、体中が冷えてしまったが、立ち上がることもできなかった。

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