発達障害と就業上でのコミュニケーションについて。
ADHD_noteです。
今回は気になる記事があったので、
「発達障害と特に就業上でのコミュニケーション」について書きたいと思います。
気になる記事がこちら。
この記事は、”企業” が ”就活生” に求める「コミュニケーション能力」と学生の「コミュ力」の違い。という内容について書かれています。
昨今の就活市場では、
(企業・採用側は)「コミュニケーション能力のある学生が欲しい」
という話をよく聞きます。
私は以前から、
『ん?「コミュニケーション能力」って、そもそも人それぞれで基準が違うし、その言い方(考え方)おかしくない???』と思っていましたし、『企業の欲しいコミュニケーション能力とは、私が思う(持つ)コミュニケーション能力とは明らかに違う能力だな』と、理解していました。
(詳しくは後述します。)
上記の記事にも書かれている通り、
そもそも「企業」と「就活生」で『コミュニケーションの概念が違う』
ということです。
(略)
学生は苦手な人や話が噛み合わない人と話す必要はない。コミュニティそのものの同質性が高く、コミュニケーションをとる相手の多くは同好の士であるからだ。そのため、学生のいう「コミュ力」とは「話すことが上手である」「話すことが面白い」といった点で評価され、「コミュ力が高い・低い・ない」といわれる。それに対して、企業の望む「コミュニケーション能力」は、苦手な人とでもそつなく会話ができる、相手を理解しようと話す、営業場面に代表されるような「敵をつくらずに主張を述べる」といったことである。
(中略)
つまり、学生が言う「コミュ力」の評価はバックグラウンドが似通った同質な集団内でのコミュニケーションにおける発信力・受信力の高さであり、企業が求める「コミュニケーション能力」は初対面や利益が相反する人との会話のように「異質」間における発信力・受信力を指している。このような認識のずれが就職活動をする学生と採用担当の間では存在し、企業が求める「コミュニケーション能力」の水準に学生の能力が満たないと感じられているのではないだろうか。
【DIAMOND ONLINE(2021.7.21 3:15):企業が就活生に求める「コミュニケーション能力」と学生の「コミュ力」の違い 本文より一部引用。】
記事の中にある、「敵をつくらずに主張を述べる」の部分などから、”企業の主張” を私自身の経験から拡大解釈すると、結局は・・・
(企業側は)「コミュニケーション能力が高い人」が欲しいわけではなく、「ひたすら上司の指示に従い、パワハラなどのハラスメントをする上司や、いわゆるお局、職場の悪口も多い気の合わない同僚、無理難題を言うような取引先など異質な人達とも、うまくやっていける人が欲しい」と言っている(と、少なくとも私は思っている)わけです。
(※繰り返しますが、あくまでも私個人の見解です。)
要するに(私が思う)多くの日本企業では、
・会社、組織に利益を上げてくれれば、パワハラなどをしても構わないし、容認します。(とりあえず(世間がうるさいから)ハラスメントに対する ”内部・外部通報窓口” や ”メンタルヘルス窓口” などと言った形式 ”だけ” は整えておくけどね。)
・パワハラやいじめなどがあっても(あなたが被害に遭っても、同僚や後輩が被害に遭っているのを見ても)見て見ぬふりが出来たり、気にしない ”空気が読める”(ちなみに、これを企業側は「メンタルが強い人」などと言う。)、さらにできれば社内の問題を告発しない人(パワハラや不正があっても「ないこと」「なかったこと」にできる人)が欲しい。
・上司・組織に意見をせず、逆らわず、ひたすら従う人が欲しい。
(というか、「パワハラされた」とか言っている暇があったら仕事しろ。)
・わずらわしい人間関係のマネジメントはしたくないから、勝手に当事者同士でやってくれ。ハラスメントとかいじめとか、面倒なことには関わりたくないから、スルー出来る人が来てくれよ。
・一回言ったら(一回コミュニケーション取ったんだから)理解しろ、二度と聞くんじゃねーぞ。
・・・と、いう感じなんだろうな、と思います。
まぁ、百歩譲って経営上、職場も大変な時代になったことも分かります。
それならそうと、採用時に「コミュニケーションが高い人が欲しい」などと言わず、
「当社には、日本社会で起こりがちな同調圧力、パワハラやいじめ、嫌がらせをする人がもちろん一定数居ますが、そういうことにも対処できる(そういうコミュニケーションに対処でき、そういう空気がしっかり読める)人はぜひ来てください!」
と、”真に自社が欲しい人材” の要件をハッキリ示せばいいのです。
「コミュニケーション能力の高い人」しか書かれていないと、何のコミュニケーションなのかもわからず、ぼんやりしすぎているのです。
※一応書いておきますが、現実問題 ”そんなこと” に対処できる人は限りなく少ないことは理解できますし、近年 ”そんなこと” を書いたら、すぐに問題となり、場合によっては摘発、処分されますから実際は書けないでしょう。でもこれが、多くの日本企業の ”本音” だと私は思っています。令和も3年目になった今、いいかげん企業は気づくべきだと思いませんか。
ちなみに「外資系だから」と決めつけるわけではありませんが、少なくとも日本企業よりも外資系企業の方が、個々人を大切にする(というよりも、そもそも障害や年齢、性別等で判断をしたり、採用や評価をせず、実力や実績で認める)土壌が出来ていると考えます。
私はこれらについて、特に日本企業こそが空気を読めていないと思いますし、人権やジェンダー平等については、諸外国(特に欧米)企業と比べて、20年~30年は遅れを取っていると考えます。
その証拠に、つい最近も某国内大手企業での不正が明らかとなり、トップが辞任していましたし、東京オリンピック開幕直前にも、音楽や演出の関係で過去の問題が取り沙汰されて、辞任された方が数名いらっしゃいました。
残念ながら、2021年現在も、
”日本”とは、そういう国(発展途上国)なんです。
さて。話を元に戻しますが、
発達障害で言うと、特にASD(自閉スペクトラム症)と言われる障害を持つ人は、社会的なコミュニケーションがうまく取れないことで日常生活や就職が難しくなることが知られています。
ASD(自閉スペクトラム症)
具体的にASDの人が仕事上で問題となる点は、上司や同僚との会話をはじめ、窓口での応対や電話応対など、”対人場面” が特に困難とされ、もともと相手の表情から気持ちを読み取ることが難しい脳特性、障害のため、意思疎通ができない場面(一方的に話し過ぎてしまうような症状も含みます)が多くあると言われます。
(※単に社会の発達障害に対する理解が不足している部分もありますが。)
一方、ADHDと言われる障害は、対人コミュニケーション自体は問題なく、むしろ得意な場合が多いとされますが、別の面で問題視されます。
AD/HD(注意欠陥/多動性障害、注意欠如/多動症)
具体的にADHDの人が仕事上で問題となる点は、
忘れっぽい(置き忘れ、記入・押印漏れ、チェック漏れなど「○○し忘れ」が激しい。健常者なら1度や2度だけのミスを、10回20回30回・・・とミスし続け、改善できない。)
気が散りやすく、会議や単調な作業などに集中できない。
こそあど言葉(これ、それ、あれ、どれ)等の曖昧な指示が理解できない。
ダブルタスク以上の業務をこなすことが難しい(たとえば、PC作業中に全く関係のない業務を口頭で指示・依頼されたり、話しかけられたりするとすぐ前の作業を忘れてしまう)という人が多いと言われます。
(ちなみにこれは私です。)
また、人によっては相手が話している途中に話を遮ってしまう、会議中などに思いつきで話し始めてしまうなどというケースもあります。
ちなみに、ASD、ADHDに共通する特性として感覚過敏があり、視覚(蛍光灯やPC画面のまぶしさなど)、聴覚(空調や屋外のバイクの音など)、嗅覚(近くの人の香水や柔軟剤、飲食物の臭い)などで、集中力が途切れたり、吐き気やめまい、頭痛などの体調不良を起こすこともあります。
(集中力が途切れると、著しく業務パフォーマンスが低下します。)
健常者の人がこれらを理解しやすい状況で例えるとすれば・・・
・業務中に向かいや横の席から顔周辺をチラチラ懐中電灯で照らされる
・隣の席など耳の近くで数十秒ごとにフライパンなどを叩く大きな音がする
・扇風機などの風に乗ってアンモニア臭が漂ってくる・・・
などという感じでしょうか?集中できますか?
(実際にはもっとキツく感じる人もいらっしゃると思います。)
そのような状態で、
「集中しろ!」「ちゃんと仕事しろ!」「努力が足りない!」「考えが甘い!」「作業が遅い!」などなどと言われても、
我々当事者からしてみれば、
『(この会社は)なんて理不尽なんだ・・・』
としか思えないわけで、
『よし、辞めよう。』
となることが多いわけです。
そこで、
「あ~やっぱりね。発達障害のやつはやる気が無くて続かないんだよな」
「あいつら発達障害者は仕事(職場)を何だと思っているんだ」
「発達障害のやつはわがまま過ぎて困るよな」
・・・と、終わらせないことです。
これは、
「発達障害を理解しない(理解しようとしない)健常者」基準の目線でしか語られていないのです。
「発達障害を理解しない(理解しようとしない)健常者」の方へ
分かりやすく伝えるならば、
突然上司から『来週から一人でロシアに行ってもらう。で、そのあとはアフリカの・・・・・国はまだ決まっていないんだけど、とりあえず数か月間は行ってもらうことになったから。準備しておくように。』
と、言われる場面を想像していただくとわかりやすいかもしれません。
「周りに一人も理解者が居ない環境って・・・」
この場面で、
『ポケトークがあれば言語には対処できるかもしれない。』
『日本のレトルト食品や保存食を30食くらい持って行けば、多少は食では困らなさそう』
『家族も一緒に行けるかな?』
『通訳の人や誰かもう一人か二人連れていけないか検討してみよう』
などなど、いろいろと”対策”が出てくると思います。
実は、発達障害者は常にこのような『周りに一人も理解者が居ない状況』に置かれがちです。
『音にもう少し配慮できていたら、長く勤められたかもしれない。』
『やり方を工夫したら、速く(時間内に)こなせたかもしれない』
『休憩を取らせてあげれば、疲労が溜まらずに続けられたかもしれない』
『専属で相談できる窓口を用意しておけば、改善点を把握できたかも』
『ジョブコーチをつけていれば、もう少し配慮事項が理解できたかも』
というように ”建設的に” ”対処策として” 考えられるかどうか、です。
結局人は『自分事として』考えなければ理解が出来ないわけです。
もしも私が健常者で、一部上場企業の企業運営をしている立場だったら、「発達障害者?何それ。ん~よく分からないけど、めんどくさそうなら要らないよね。現場でトラブルが起こりそうなら、採らなくていいんじゃない?」などと、言っているかもしれません。
”採用担当”や”幹部”、”管理職” だけでなく、「障害者雇用」で真に重要で、問われるのは ”一緒に働く現場の人たち、つまり ”同僚” や ”先輩” がどれだけ発達障害について理解しているかであり、まさにこれは「学校の現場」と同じ構図です。
担任教師、学年主任、教頭、校長がそれぞれ「発達障害」について熟知し理解をしていても、肝心の生徒、つまり”同級生”が理解していなければ、誤解や偏見などから、いじめや差別といった排他的言動にもつながるわけです。
私が今回取り上げた記事では、主に大学の新卒者と企業側を対象としたものではありますが、発達障害に関しても全く同じです。
企業側は(新卒、中途問わず)もう少し発達障害のある人に対し、理解を示す(歩み寄る)ことが必要だということ、その部分を多少なりとも改善できれば、早期離職の防止、離職率の改善、職場の士気の改善にもなり、ひいては、障害者雇用そのものが充実した制度として日本社会に浸透し、健常者にとっても(少なくとも現状よりは)誰もが働きやすいと真に思える企業や職場環境が増えるのでは?と思う次第です。
最近の企業は「ダイバーシティ」や「インクルージョン」「SDGs」「持続可能性」・・・などと、”横文字” や ”小難しい言葉” を並べ立てて ”企業理念” としていたりします。
しかしながら、結局は「一企業」としては障害者をほぼ雇わずに、本業とかけ離れた、全く別の場所によく分からない作業部門の工場・農作業・事務作業場所など(単刀直入に言って「特例子会社」のことです)を立ち上げて ”障害者を雇用していること” にして「わが社は障害者(特に精神・発達障害者を多く雇用し)法定雇用率を十分に達成しております。」などとアピールしていますが、”そんなこと” をするよりも、身体、内部、精神、知的、発達の各障害についてそれぞれを正しく理解し、実際の現場で雇うなどの雇用対策を実現することの方が、よっぽど「ダイバーシティ」だし、「インクルージョン」だし、「SDGs」だし、「持続可能性」があり、企業の将来にとっても、社会的意義としても(ステークホルダーに対しても)、よっぽど重要で評価が高いんじゃないかなと、私は発達障害当事者として声を大にして伝えたいと思います。
最後に気になる記事をひとつ・・・
※久々に力が入り、プチ長文になってしまいました…笑笑