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ケネス・ワプニック博士の語録

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『A Course in Miracles』をもっとも理解していたその第一人者であるケネス・ワプニック博士の言葉を引用したnoteコラム
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2021年9月の記事一覧

風の時代!?

風の時代!?

土の時代から風の時代へそれは、去年(2020年)のことでした。

「土の時代から風の時代へ」という言葉がスピリチュアル界隈で話題になっていたように思います。

「これから物質主義の時代からスピリチュアルな時代へ移行していく」というようなことを謳っていたと思います。

それは、「時代が変わる!時代の変換期!だから、その時代の変化の流れに乗っかっていきましょう!」ということなのでしょう。

たしかに、

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「自我を咎めずに見る」という訓練について

「自我を咎めずに見る」という訓練について


親切でいなさい「親切でいなさい」とワプニック博士は云います。

ちなみに、これは行動レベルでのことを云っているのではないということを覚えておかなければなりません。

もちろん、行動レベルでそうあることに越したことはありません。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、あくまでも心のレベルにおける訓練なのだということを忘れてはなりません。

というのも、もしコースの教えを行動レベルのものと

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本当に「行き詰る」ときこそ、別の見方が開かれるとき

本当に「行き詰る」ときこそ、別の見方が開かれるとき


別の道があるはず ~There must be another way.コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の霊性の道を歩んでいく上で知っておいたほうがいいのは、そのプロセスにおいて誰もが必ずと言っていほど、ある時点で「行き詰る」ことになるということです。

つまり、コースを学んでいくことがつらくなったり、苦しくなったり、嫌になったりするということです。

コース学習の道を真摯に歩んでいく

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イエスはたんなる象徴(シンボル)なのだということ

イエスはたんなる象徴(シンボル)なのだということ


戦場を超えたところイエス(聖霊)を教師とするとは、いったいどういう意味なのでしょう?

実際に、

イエス(聖霊)から私たちは何を学ぶのか?

というなら、イエス(聖霊)が見ているように私たちも見ることができるように、その知覚の仕方を私たちは学んでいるのだと言うことができます。

イエス(聖霊)はどのようにこの世界や私たちを見ているのか?

ということを、私たちは「赦し」の実践を通して、その知覚

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霊的体験にまつわる自惚れや驕りなどに警戒しましょう

霊的体験にまつわる自惚れや驕りなどに警戒しましょう


スピリチュアルな探究の旅を振り返って振り返れば、私にとって、このスピリチュアル探究の旅ももうかれこれ30年以上になります。

ずいぶん長い旅をしてきたと感じています。

この旅は、もはや時間という幻想を超えて、今この瞬間へと戻っていく旅となってきています。

そもそもスピリチュアル探究のはじまりとなったのが、仏教でいうところの「悟り」「解脱」というものを知ったというところからでした。

それは私

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このコースは愛の意味を教えることを目指してはいない

このコースは愛の意味を教えることを目指してはいない


すべてを包含する平安コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践によってもたらされる成果とは何か?

というなら、「平安」だと言うことができるでしょう。

しかも、その「平安」とは、「すべてを包含する平安」です。

コースでは、それを「神の平安」と呼んでいます。
(正確には、「神の平安の反映」なわけですが)

その平安(神の平安)は、絶対なる平安と言うことができます。

なぜなら、その

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コースを学んでいる自分とは誰なのか?~神の教師としての在り方

コースを学んでいる自分とは誰なのか?~神の教師としての在り方


「自分は心である」という自己認識コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は一元論(非二元)のスピリチュアリティであることはすでに周知の通りです。

その中心的な概念は、「この世界は幻想であり、実在しない」というものであるわけです。

それが意味するのは、つまり、「自分はこの世界の中に居る」と思っているその自分も実在していないのだということです。

世界はない。

他者はいない。

自分と思って

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自我から自由になることは、この世界から自由になるということ

自我から自由になることは、この世界から自由になるということ


自分を赦すコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を実践していけばいくほど、自我にしがみついていたい自分を自覚するようになります。

いかに自我を手放したくないか、
そして、
いかに自我の思考体系を握りしめていたいか、

そのことがはっきりと自覚/認識されていくということです。

そして私たちはその自分を咎め責めたくなるわけです。

ですが、コースの実践で私たちがしていくのは、その自分(自我)

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コースの観点から見た「人生の目的」について

コースの観点から見た「人生の目的」について


この世界に目的は二つしかありません私たちは、なぜ?そして何のために?ここ(この世界)にいるのでしょう?

私たちが、ここにいる目的は何なのでしょう?

人生の目的は?

といったときに、この世界にはたくさんの目的があるかのように見えます。

その目的は人それぞれにあって、各々が、ちがったそれぞれの目的を持って生きているかのように見えます。

ちなみに、「、、、かのように見える」という言い方をする

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あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要である

あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要である


自分自身に正直になる自分が、自我の思考体系と同一化しているということ。

自分が、自我になってしまっているということ。

その自分は、常に、聖霊(イエス)を拒絶し続けているということ。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることを理解するようになるとき、誰もがそのことを自分の中にはっきりと認識していくことになります。

真の自己を思い出すことよりも、個別性、特別性を持った偽りの

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無慈悲、不親切、自己中心的、不正義な自分とどう向き合っていけばいいのか?

無慈悲、不親切、自己中心的、不正義な自分とどう向き合っていけばいいのか?


無慈悲で、不親切で、自己中心的、不正義な自分コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で私たちが知っておかなければならないことは、「自分はこの世界に居る」と信じているということ自体が、すでに自我と同一化した状態になっているのだということです。

つまり、今や私たちは「自我」というニセモノの自分と同化してしまって、それを自分だと信じ込んでいるということです。

ですから、そのニセモノ

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自我の巧妙さを見抜けるようになるために

自我の巧妙さを見抜けるようになるために


正直でいること私たちは「自分は肉体である」と信じ切っていて、まるでそのことを疑うことすらありません。

いくら「自分はスピリットである」と学んだとしても、それは単に知的な頭の理解でしかなく、自分の内側に正直になるならば、やはり「自分は肉体である」と信じ込んでいるわけです。

「自分は傷つく存在である、自分は死ぬ存在である」と信じているのは明らかです。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)

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分裂した心を癒すには、統合ではなく、もともと一つであることを思い出すだけ

分裂した心を癒すには、統合ではなく、もともと一つであることを思い出すだけ


キリスト教用語で書かれてあるがゆえに、私たちがつい勘違いしてしまうことコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)とは何か?

簡潔に言うならば、コースはキリスト教用語で書かれた一元論のスピリチュアリティだといえます。

ときに、コースがキリスト教用語で書かれてあるがゆえに、どうしても馴染めないという方もおられます。

実際に、そういう方々を私もたくさん見てきました。

ただ言えるのは、一元論のス

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自我の思考体系にしがみついている自分を自覚していくこと

自我の思考体系にしがみついている自分を自覚していくこと

あなたはどれほど救済を望むのだろう私たちだれもが、幸せになりたい、救われたい、と望んでいるといえます。

幸せになりたくない、救われたくない、と思っている人などいないといえましょう。

ただし、それは、表層意識のまやかしであると言うことができます。

というのも、私たちの無意識レベル(自覚していない心)では、幸せ、救いの真逆を望んでいるからです。

この世界の誰もがその内側では、幸せ、救いなど望ん

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