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もうどこにもいないと思っていた自分とまた会えた
実に13年ぶりに、アメリカの土地を踏んだ。
南米への出張へのトランジットの、ほんの数時間のことである。
サンフランシスコの街をこの足で歩いた。
私が多感な10代のころを過ごしたのは東海岸のNYで、今頃は凍えるほど寒いはずだ。夜でもジャケットを着ていると汗ばむサンフランシスコとは、気候も町並みも違う。
それでも。
それでも確かに、そこは私の人生の大切な一部分を作ったアメリカだった。もう一度アメリカを
「どうしたいか」が何よりも大切な時代になる
今、話題になっているAI技術。
新たな技術に驚きワクワクするのと同じくらい、多くの人が抱えているのが恐怖や不安だ。
AIに仕事を奪われるのではないか?
私の仕事は機会で代替可能になるのではないか?
生活のための賃金を失う恐怖に留まらず、多くの場合、仕事は「私は何者か」というアイデンティティに結びついていて、その自己認識を奪われるのではないかという恐れ、すごくよく分かります。
特に、AIが脅かす可
文章で自分を肯定してあげることができれば、大丈夫である、という話。
大人になると「正解」がない。
結婚すべきかしないべきか、転職すべきか留まるべきか、
移住すべきかしないべきか。昇進すべきか、そのオファーを断るべきか。
分岐点の多い30代は特に難しい。
別に子供の頃から、「正解」に捕らわれる生活をしていたわけではない。
むしろ、進学や就職、何かの決断を迫られる度に、「自分のアタマで考えて、自分で決めてきた」と思っていた。
そうすることができる自分であると思って
分かってきた自分のこと。
文章に強みあり。必ずしもクリエイティビティとは一致しない。
慣れれば事務作業もそれなりにいける。
数字はめっぽう弱く、あんなに鍛えたはずなのに四則計算さえおぼつかない。
営業トークなんて絶対にできないと思っていたけど、慣れと場数でやれている気がする。
だけど決して器用な方ではなく、何をするにも時間はかかる。頭の回転は早くなく、じっくり取り組むことが好き。
ジョブチェンジをして1年。
分かってきた
それが「ビジネス」であることで救われること
転職を経て、専門職(ジャーナリズム)から「ウェブ広告のプランナー」に転向した私が考える、「ビジネス」という分野の特徴について書いてみたいと思います。
言うまでもなく私個人の所感と言うことになりますが、利益や売上に無頓着なジャーナリズムの世界から、利益を第一に考える営業やプランナーの世界に移った人は比較的珍しいので、一意見として書き残してみたいと思ってパソコンに向かっています。
ニュースの現場を自
大好きだった仕事を辞めた
大好きだった仕事を2カ月前に辞めた。
未練はないと思っていた。
長時間労働と厳しすぎる上司、個人主義で助け合わない同僚のもとで、もう続けていくことはできないと思った。
もうたくさんだと思って飛び出したのに、いまごろ心がぐらぐら揺れている。
未練なんてない。
たぶん、アイデンティティが揺らいでいるのだ。
あこがれて、やりたくて就いた仕事だった。
門を叩いて受け入れられた時、うれしかった。一生この