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それが「ビジネス」であることで救われること

転職を経て、専門職(ジャーナリズム)から「ウェブ広告のプランナー」に転向した私が考える、「ビジネス」という分野の特徴について書いてみたいと思います。
言うまでもなく私個人の所感と言うことになりますが、利益や売上に無頓着なジャーナリズムの世界から、利益を第一に考える営業やプランナーの世界に移った人は比較的珍しいので、一意見として書き残してみたいと思ってパソコンに向かっています。

ニュースの現場を自分の足で取材し、広く社会に伝えるジャーナリズムと、
顧客(企業や団体)が広めたいメッセージを伝えたり、商品の「売れるきっかけ」を作ったりすることで対価をいただく広告業。
180度ベクトルの違う仕事だけど、あえて共通点を挙げるなら「コンテンツを作ることを生業とする」という1点だと考えている。
どちらも、広く「メディア業界」のくくりには入れられていたりするものの、中の雰囲気や理屈はかなり違っています。

大前提:私のキャリア
報道現場の記者7年→転職してデジタル広告のプランニング、制作、営業(1年)

①コンテンツの存在意義は「問題解決」
もっとも大きく重要な違いで、大いに学びとなったのが、広告業界ではどんなコンテンツも、クライアントが抱える「課題」を解決するために存在するということ。
 クリエイティブがクリエイティブとして単体で価値を持つという考えではなく、この記事は(動画は、画像は、バナーは、施策全体は)何のために必要なのか?の説明を必ず求められる。そしてその課題を解決するためのツールとして、広告表現がある。「手段としてのメディア」が徹底されているように思うのが大きな違いです。コンサルなんかの領域に近い部分もある。
そしてその達成度を測る手段として「売上」がある。顧客からの評価は良い評判を生み、リピーターやファンを作る。そうして利益を上げることができれば、コンテンツを使った広告ビジネスの良い循環と言えるのだと思う。

一方の報道記事。こちらは、そのコンテンツ(記事にしろ動画にしろ、写真にしろ)が「どう役に立つの?」と問われることは少ない。むしろ、そのコンテンツ(提示された事実やデータ、捉えられた映像や画像素材、そしてそれを編成したストーリー含む)そのものが独立して価値を持っている、という考えで受け止められているし、実際に現場でもそのような意識で作られていると思う。
もちろん、最近は「問題解決型報道」「提案型報道」などという言葉も広まっているし、自分の産みだしたコンテンツが自己満足に終わらないよう、「どう世の中に貢献したのか?」を問う記者は増えている。それを測るための指標も充実してきつつある。
でもやはり、そのコンテンツの価値を厳しく冷徹に測る基準がないことも確かだ。もちろん、売上につながらなくとも、広く多くの人に届かなくても大事な報道というのはある。一人の人に深く刺さるような記事は、なかなか一つの指標でその価値が計れないのも事実だ。

②みんな良い意味でドライ
①の違いに繫がることだけど、これが私の中で最大に大きな違いで、かつ大変救われている点である。みんな良い意味でドライで、あっさりしているのである。「ビジネスライク」という言葉があるが、その恩恵を骨身にしみて感じている。
報道の現場は、良くも悪くも「信念」と「使命感」の戦いの場だった。流行りの言葉で言う「パーパス」で動くのがデフォルトになっているし、「利益のため」ではなく「社会のため」がキーワードであるし、恥ずかしげもなく「公益性」を掲げて仕事をしている。
それは、一見すると報道の方が高尚な仕事であるようにも(外からは)見えがちだが、中に身を置いているとそうでもないなあ、というのも正直な実感だったりする。
一言で「公益」「信念」と言っても、目指しているものや価値観は現場のひとりひとりによって違う。時に意見を戦わせなきゃいけないし、納得できないことや、飲み込みがたいことだってたくさんある。
特に、世の中の価値観が多様化しくる中で、意見を統一してチームで仕事を進めていくには困難が伴う場合も多かった。
それに比べると、あくまで「ビジネス」である広告業は、「利益」という一つのゴールを目標に人が合意を取ることができる。
「設けるために何をすべきか?」は議論になっても、「目指すべき利益とはどういうものなのか?」「理想の利益とは?」とはならないのである。
合理的で、ドライであるからこそ人間関係もすごく良好に進む気がする、というのも実感としてある。

もちろん、例外はたくさんあるし、どんな世界にもしがらみはあり、納得できないこともたくさんある。

でも今のところ、私は、仕事が「ビジネス」であることに救われているのも事実だ。

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