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宙ぶらりん [短編小説]

激しく窓を叩く雨音。
部屋中がざわめく。
こんな嵐の夜は、自分は地球上に取り残された
唯一の人間のように思えてくる。
全人類が死に絶え、自分1人だけが生き残った
ような感覚。

孤独で不安な夜に、私は彼を想う。
心の中で問いかける。
生きてる?

それを、確かめる術はない。
ただ、問いかけることしかできない。

例えば、もし、呼吸もままならないほど
痛みに耐えきれないほどの病に伏してるとしたら
生きていてほしいという願いは、
おこがましい?
わがまま? 

音信不通は元気な便り?
そうは、思えない。
長すぎる音信不通は、彼の身に何か不吉なことが起きた証拠。

度々、彼は仕事に没頭すると、
何の連絡もなく音信不通になる。

以前、彼に言った。
「長すぎる音信不通は、やめてね。心配になるから」
「うん、分かったよ。キミは心配症だからね」
そう言って、彼は微笑んだ。

直接、彼に電話するのは許されないこと。
なぜなら、私達は禁断の恋の間柄。
彼の自宅の住所は知らない。
勤務先は知ってはいるが、電話して彼の安否を尋ねる気にはなれないし、わけの分からない女に対して返答などしないだろう。

そこで、私はハッとする。
ただ単に、彼の心変わりかもしれない。
それとも、私達の関係が配偶者に気づかれた?
もし、仮にそうだとしたら、せめて何か一言メールしてほしい。

今まで、何度メールを送っても梨のつぶてだった。音信不通も、そろそろ半年になる。

そこで、あることを思い出した。
数ヶ月音信不通だった不倫の相手が
実は、もう亡くなっていたという話しだ。
確か、ノンフィクションの本に書いてあったはず。
自由に連絡を取り合えないのだから、万が一
相手に何かあっても、すぐにそれを知ることはできない。充分にあり得る話しだ。

私は深く溜め息をつく。
彼が生きてるのか否か、それすら知ることができない関係。
禁断の恋なのだから、それは当然の報いとして
諦めろ、ということか?


その時、ノックの音がした。
降りしきる雨の音と入り混じり判然としないが、
人の手によって生じた音であることに、間違いないだろう。
時刻は深夜零時を過ぎている。
彼? だろうか?
不意に彼が訪れることは、今まで確か一度あった。
会社の送別会か何かで、二次会を終えた後に訪れたことがあった。でも、こんな嵐のような夜にわざわざ濡れながら来るだろうか?

「美紀……。」
少しくぐもった声が微かに聞こえた、ような気がした。
  (尚樹?) 
本当に、彼、尚樹だろうか?
ノックの音も、彼の声? も、それっきり
聞こえない。
私は玄関ドアの前まで行き、ドア越しに語りかけた。
「尚樹? 尚樹なの?」
返答はない。
もしかしたらアルコールを摂取して、酔ってるのかもしれない。
真夜中にドアを開けるのは少し怖いが、尚樹だと信じて思いきってドアを開けた。 

正面には、誰もいない。
隣家の庭の木々が、雨に打たれてざわざわ
揺らめいているだけだ。
私は首だけ出して、左右に視線を巡らせる。
どこにも人影はなかった。
アパートのドアが整然と並んでいるだけだ。

そら耳だったのだろうか?
彼のことばかり考えていたから、幻聴が聞こえたのだろうか?

期待してドアを開けた私は、ガッカリした。
だが、簡単には諦めきれない。
通路に出ると小走りに通り抜け、アパートの前の道路に出て周辺を見渡した。
斜めに降りしきる雨のせいで鮮明には見えないが、街灯の明かりが照らし出す範囲には、人影は見あたらない。
試しに、彼の名を呼んでみる。
「尚樹? 尚樹? いるの?」
雨に打たれながら、しばらくその場に佇む。
前後左右を見渡したが、やはり誰もいない。

気づくと髪も顔も雨に濡れていた。
寒気を感じ、踵を返す。
途中、何度か振り返りながら部屋に戻った。
濡れた髪をタオルで拭きながら、不可思議な思いが
拭いきれなかった。
そら耳か幻聴で片付けてしまうのも、どこかスッキリしない。

彼に電話してみたい衝動に駆られた。
が、何とか思い留まった。 
安易にかけてしまった一本の電話が、自分の首を締めてしまうことにもなりかねない。
タブーを侵す勇気などなかった。

尚樹、私どうしたらいいの?
いつまで、あなたからの連絡を待てばいいの?
いつまで、こんな宙ぶらりんの状態が続くの?

共通の友人、知人などいないから、彼の安否を知ることができないまま、生きていかないといけないのだろうか。



窓を叩く雨音が、先刻より激しくなっていた。
部屋中のざわめきが、更に増す。
心もざわつく。
得体の知れない不安が、私の中で増殖していった。







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