#エッセイ
【エッセイ】ふと今の境遇を見つめて思った事
おざますー
最近タガが外れたのか、まだ痛い目にあってないだけなのか、はたまた成長の兆候なのか、"積極性"が増した気がします🤔
それは「ようやく心身の余裕が世間水準まで到達した事」の表れかもしれず、学生時代の自己肯定感が0を割ってコンプレックスに苛まれてた時から思えば見違えるほどです…
言い換えればこの自信は「不毛にしてしばしば過度な比較・競争から脱した時」から日進月歩を辿ってきた様に思えま
【エッセイ】好きでもない仕事をする可哀想な人へ
まず前提として「わざわざしなくてもいいんだけど、自分が好きだからやってる事」は必ずしも金になる必要はないと言っておきたい。
胸を張って自慢できる「情熱を注いでいる何か」を持っていれば、それを成長させ続ければ、遠からず結果や評判が伴ってくるというのはわかりやすいと思う。
その最たるもの・好きなことを金にできた人は「運良く時の観衆の琴線に触れる何かを持ってたが故に脚光を浴びて評価を得られた一握り」
【エッセイ】作品における「考えるべきことの段階」が一段上がったかもしれない話
この1年間で発生したイベント、特に「祖父の死」「初の入院」「失業保険が切れて働かざるを得なくなった事」は「私が世間に向けて発信したいと思わせる動機」になって、現に優先すべき事(診断士の勉強)を中断して創作活動に熱中させてしまっている。
しかしそれは悪い事ではなく、むしろ「不意に訪れるチャンスを無駄にしない為」に良い事でさえあるといえるが、果たして自分の行動を合理化するための口実になってしまって
【エッセイ】デジャブの元になったデジャブを見た話
変なこと言いますけど、デジャブを体験した時に不思議な感覚に陥ることがあります。
それは「『似た場所を通った時に見た情報を元にそう思った』のか『全く予期せず見た夢を元にそう思った』のか」、またそれに加えて「これがデジャブとは微妙に異なるもので、夢を通してまたデジャブを体験する『デジャブの元になったデジャブ』なのか」というもの。
取り上げたいのは三つ目。
しかし何を言ってるかわからないと思いますが
【エッセイ】荼毘に付す
浄土宗・南無阿弥陀仏を唱えたお坊さんが祖父を送って行った。
極楽浄土のその音に「果たして祖父は逝った先でどんな極楽を享受するのか」、失礼にも疑問に思われてしまった。
晩年、それもつい5日前まで生きていたその体はそのところどころに悲鳴が上がっていただけに病院を行ったり来たり、親族はその心のどこかに準備ができていたのは言葉にするまでもないのかもしれない。
その子供、私の父が首都圏に出てきてしばら