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【エッセイ】気づきたくない自分の本音の話

この前駅にチャリを置いてきちゃったんで今バスを待ってるんですけど、建物を照らすオレンジ色にもの寂しさを感じてしまった所なんです。

もう時期日の傾きもピークを迎えて年でも仄暗い時期を迎えますが、そんな時に無機質なダウナー系の曲を聴くと心まで黄昏てきちゃう様で…

それは高校生の時にふとダウンロードした無料ゲーム(めちゃ高速で移動する宇宙船?を操作して障害物を避けながら記録更新を目指す、みたいな)を想起する様な曲なんです。

「持てる最高速度を持って、鏡面仕立てで磨かれた大理石のタイルの上を、あるかもわからない到達点に向かって永遠走ってる」みたいな。

そしてその様子が今の自分と同じなんじゃないかって、同じなことに気づきたくなかっただけなんじゃないかって思えるんですよ。

それは「人の人生は結局死ぬまでの暇つぶしでしかない」って疑わせる様なものなんです。

建前では「誰もが個性発展的・自己実現欲求的に生きるべきだ」と思っていても、本当は本心では「それは退屈なんじゃないか?」って疑わせる様な。

見つめる誰もが幼く賢くない生き方をしていると思えど「自分がそうあることができなかったから嘲笑的な見方しかできなくなってるのではないか」と。

そして「それを認めてしまった時に立ち直れるかわからない事」が余計に直視させるのを怖くさせるから、そこに見えたオレンジ色に虚しさ・つまらなさを感じてしまったのかもしれません。

望みすぎてるのかもしれませんね。
ただ今の人の在り方はあまりにも愚かしくはないか?と思わずにいられないのです。

しかし無意識に感じるその疑いさえ、人の輪に入ることができなかった悪あがきだとしたら。
アイデンティティを壊す様なことに気づきたくないのはみんな同じじゃないですか?

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