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【エッセイ】荼毘に付す

浄土宗・南無阿弥陀仏を唱えたお坊さんが祖父を送って行った。

極楽浄土のその音に「果たして祖父は逝った先でどんな極楽を享受するのか」、失礼にも疑問に思われてしまった。

晩年、それもつい5日前まで生きていたその体はそのところどころに悲鳴が上がっていただけに病院を行ったり来たり、親族はその心のどこかに準備ができていたのは言葉にするまでもないのかもしれない。

その子供、私の父が首都圏に出てきてしばらく、物の疎さに苦労してか東北から越して近くに居を構えてから、兼ねてから定年して仕事もしてなかったこともあり、生き甲斐のなさそうな(私が忌避するような)「セピア色の毎日」が流れているであろうことは明らかだった。

そんな中訪れた通院時、眠るように脈を止めた急死。
その瞬間まで彼の苦痛は生の執着を刺激して依然と生理的なシグナルを送ったが、なればこそ、気づかない間に息を引き取ったその心に、生への執着を手放させるような「日常の絶望に由来した諦め」があったのではないか?

私は、彼が強いられたような「セピア色の毎日」を、ただ時間が過ぎるのを待つだけで退屈に心を蝕まれるような生活をせざるを得ない日常を、決して認めたくない。

これは明らかに「社会的な仕組み」に「生産に不相応(とされるよう)な人間の選択肢」が欠けていることに起因する不愉快極まる罪だ。
(それも「資本」という指標で計る世界規模の社会の罪だ)

「誰かに」ではなく「そこに」こそ、形を持たない元凶が居座っている。
(他の人には見えないのか?)

お坊さんは「ご縁」「因縁」という言葉を残して行った。
祖父の遺骨は「私の物語」に説得力を授けてくれるはず。
すっかり冷たく固くなった、今にも起きてきそうな微笑み顔。

目の前で眠る細く弱りきった微笑み、しかし記憶の中の「堂々と厳とした佇まい」のその仏は、約束されているはずの将来の糧になってくれると、私は信じていたい。

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