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くねくね歴史散歩

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興味を持った人物や地域、国の歴史を調べたり、実際に”クネクネ”歩きながらご紹介。
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サムライの珈琲とストーブ~#2 ロシア初の使節

サムライの珈琲とストーブ~#2 ロシア初の使節


2.ロシア初の公式使節、根室来航1778年(安永7)ラストチキンらが初めて松前藩と接触してから14年後、日本に対するロシア政府の最初の公式使節アダム・キリルビッチ・ラクスマン(1766~不明)と日本人漂流民・大黒屋光太夫(1751~1828)、磯吉(1766~1838)、小市を含む乗組員42名を乗せた帆船「エカテリーナ号」が、現在の根室港に到着します。ロシア歴1792年10月9日(和暦:寛政4年

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サムライの珈琲とストーブ~#1 ロシアの南下政策

サムライの珈琲とストーブ~#1 ロシアの南下政策

プロローグ江戸時代後期以来、18世紀~19世紀頃のロシアの領土的拡張は、日本の脅威となっていました。ロシアは、シベリアを領有し千島列島(クリール諸島)、カムチャッカへ進出していきます。

その進出理由は、当時、最高級品として特にヨーロッパや中国(清)で需要が高かった「ラッコや黒テンの毛皮」です。特に、ラッコ猟に関わる船の食糧や燃料を確保するために、日本と通商条約を結ぶ必要があるとロシアは考えていま

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反骨と信念の明治の男たち、ビールを造る~村橋久成と中川清兵衛 #6

反骨と信念の明治の男たち、ビールを造る~村橋久成と中川清兵衛 #6


07.中川清兵衛の新たなる挑戦1891年(明治24)ビール醸造業から去った中川清兵衛は、妻子とともに札幌から小樽に移り住みます。

小樽での旅館経営

小樽運河沿いに船宿「中川旅館」を開業。場所は、現在の小樽市色内1丁目付近です。旅館は、立地も良く、技術者一筋の中川でしたが、「誠実・勉強」をモットーに大いに繁盛したといいます。「日本郵船旅客取扱所」の肩書までもらい、小樽屈指の旅館となります。

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反骨と信念の明治の男たち、ビールを造る~村橋久成と中川清兵衛 #5

反骨と信念の明治の男たち、ビールを造る~村橋久成と中川清兵衛 #5

06.相次ぐパイオニアの辞職
「開拓使官有物払い下げ」事件と村橋久成の辞職

「冷製札幌ビール」が第2回内国博覧会で「有効賞」を受賞した1881年(明治14)、開拓使がこれまで建設してきた工場や倉庫、農場、牧場などの”官有物の払い下げ”をめぐり開拓使内部で様々な動きが露見した年でもありました(「開拓使官有物払下げ事件」)

開拓使は1882年(明治15)で廃止になり、他の府県と同じく県庁が置かれる

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反骨と信念の明治の男たち、ビールを造る~村橋久成と中川清兵衛 #4

反骨と信念の明治の男たち、ビールを造る~村橋久成と中川清兵衛 #4


05.開拓使麦酒醸造所開業

1876年(明治9)9月23日、開拓使は、総工費8348余円、現在の金額で約1億円をかけて『開拓使麦酒醸造所』を開業します。
木造二階建てで、この木造工場は、やがて赤レンガ造りとなり、次々と増築されていくことになります。開業当初の建坪は約260坪でした。

この年は、札幌農学校(現 北海道大学)が開校してクラーク博士が来日した年でもあります。

開業式では、工場の中

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反骨と信念の明治の男たち、ビールを造る~村橋久成と中川清兵衛 #3

反骨と信念の明治の男たち、ビールを造る~村橋久成と中川清兵衛 #3

04.日本初のビール醸造所開設ビール醸造所設置の背景

なぜ、当時、日本でビール醸造所の建設が急がれたのでしょうか?

それは、開拓使が北海道開発のためにアメリカ式農法を導入し、それによって作られた大量の大麦を上手に活用する必要があったからです。

それと時を同じくして、北海道の地質調査を行っていたお雇い外国人トーマス・アンチセル(1817~1893)が”野生のホップ”を岩内で発見(1871年/明

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反骨と信念の明治の男たち、ビールを造る~村橋久成と中川清兵衛 #2

反骨と信念の明治の男たち、ビールを造る~村橋久成と中川清兵衛 #2

村橋久成が北海道から鹿児島へ帰還したのは、1869年(明治2)7月下旬で、その後は、藩庁会計局出納方の出納奉行副役を務めています。いわゆる閑職でした。また、ドイツでビール醸造業を習得した中川清兵衛が帰国するのは、箱館戦争が終了した6年後の1875年(明治8)8月のことです。

03.出会い日露関係と黒田清隆

函館戦争後の1870年(明治3)5月、黒田清隆(1840~1900)は、北海道開拓次官に

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反骨と信念の明治の男たち、ビールを造る〜村橋久成と中川清兵衛 #1

反骨と信念の明治の男たち、ビールを造る〜村橋久成と中川清兵衛 #1

00.プロローグ2021年(令和3)の日本での1人当たりビール消費量は、年間33.2リットル、大瓶換算で約52.5本でした(世界第8位)。
ちなみに、世界第1位のチェコ共和国は、年間184.1リットル、大瓶換算で290.8本で日本の約5倍です。

チェコ共和国に及ばないにしても世界第8位の消費量を誇る日本人に愛飲されているビール。
このビールが北海道で初めて造られるようになったのは、さかのぼること

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“看護師さん、大空を駆ける“〜北海道初の女性飛行家・米山イヨ

“看護師さん、大空を駆ける“〜北海道初の女性飛行家・米山イヨ


プロローグ2022年(令和4)12月に北海道初の男性飛行家・高橋信夫について発信しました。彼と私の出身地は、同じ北海道枝幸町ということで興味を持ち、彼をリサーチしている中で北海道初の女性飛行家・米山イヨの名を知り、彼女に関心を抱きました。少しずつ資料を読み進めるうちに彼女が稚内出身であることが分かりました。稚内は私にとって小・中・高校時代を過ごした思い出の地でもあり、私は、彼女について、もっと知

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“大空へ命をかけて“〜北海道初の男性飛行家~高橋信夫

“大空へ命をかけて“〜北海道初の男性飛行家~高橋信夫

プロローグ『ひこうき雲』
ユーミンが荒井由実時代に作った名曲の1つ。
アニメ『風立ちぬ』の主題歌としても使用され、海外でも人気がある。
その歌詞に”空に憧れて、空をかけてゆく・・・”という印象的なフレーズがあります。

いまから100年と少し前の大正時代、その言葉通りに”空に挑み、自由に空をかけ巡った男女が北海道の端っこで偶然にも現れます。

彼らは、北海道出身者では、初めての飛行家(飛行機操縦士

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銘菓『ひとつ鍋』と『マルセイバターサンド』の由来

銘菓『ひとつ鍋』と『マルセイバターサンド』の由来

『六花亭』
言わずと知れた北海道を代表するお菓子メーカーである。

この『六花亭』が、同じく菓子メーカーである『千秋庵』(帯広)から派生した企業であることを北海道出身者の私は、つい最近まで知らなかった。

また、『六花亭』の人気菓子である”マルセイバターサンド”と”ひとつ鍋”の名前は、明治時代に十勝を開拓するために移住した『晩成社』に由来することも新たに知った。

今回は、『六花亭』と『千秋庵』の

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