西浦 宏之 | ノース・ブランド LABO 代表

札幌市在住。ロシア、東欧の専門旅行会社勤務や日ロ航路運航担当者を経て離島フェリー会社で…

西浦 宏之 | ノース・ブランド LABO 代表

札幌市在住。ロシア、東欧の専門旅行会社勤務や日ロ航路運航担当者を経て離島フェリー会社で営業担当。利尻,礼文、奥尻、サハリンの魅力や北海道と国内外の交流や歴史も紹介していきます。 ■ノース・ブランドLABO 代表(個人事業主) ■礼文島観光大使 ■旅行サービス手配業務取扱管理者

マガジン

  • 乙女座おやじのつぶやき

    9月8日生まれの乙女座。還暦過ぎたオヤジの切ないつぶやき。

  • 札幌コンシェルジュ

    現在、札幌で暮らしていますが、北海道の離島であれば自信をもって情報提供できますが、自分が住む街について、ほとんど何も知らないことに気が付きました。 そこで市内を”くねくね”と散策しながら触れた自然、地域イベント、札幌開拓にまつわる歴史そして、おすすめグルメやそれを提供するお店などを発信していきます。

  • くねくね歴史散歩

    興味を持った人物や地域、国の歴史を調べたり、実際に”クネクネ”歩きながらご紹介。

  • 北の海の航跡をたどる〜小樽・利尻礼文(稚内)航路 編

    かつて小樽と利尻礼文は、隣町だった。 それを繋いだのは、船の道。江戸時代は北前船が昆布やニシン粕などの海産物を運び、近代になっては、島へ生活物資や移住者を運んだ。鉄道が北へ延びるまでは、小樽~利尻礼文間が物流、人的移動で大動脈となっていた。 しかし、トラック輸送の充実や稚内からのフェリーの大型化により同航路の需要は減退する。観光的には、小樽を夜行便として出港、翌朝、島に到着するというユニークな航路として人気を博した(札幌から夜行列車とフェリーを乗り継いで島へ向かう方が遅着していた)。 いま、再び、夏季限定で再開を望むところだが採算的には厳しいことは想像できる。 このようなユニークな航路の歴史と就航船舶をご紹介しながら、その航跡をだどってみたい。

  • サハリン・コンシェルジュ

    日本最北端の地・宗谷岬から直線で約43km、マラソンと同じ距離に位置するロシア・サハリン島。日本時代は樺太と呼ばれていた。 この島ほど、日ロの政治の思惑に翻弄された場所はないだろう。 その昔は、日露の人々が一緒に暮らす雑居地だったり、全島がロシア領になったり、日露戦争で北緯50度以南が日本領となり約40万人の人々が暮らしたこともある。その人々が、樺太を追われたことと同時に残留日本人や残留韓国・朝鮮人問題も忘れてはならない。また、従来よりサハリンで暮らしていた樺太アイヌ、ニブヒ、ウイルタなどの少数民族も日ロ政府により、その生活環境を大いに変えられたことも知っておくべきこと。 残念ながら、サハリンは、いま”近くて遠い島”へと後転してしまった。 しかし、近い将来、必ず、日ロの人々の交流が再開される。 その際、この「サハリン・コンシェルジェ」がサハリン島を訪れる観光客の一助となれば幸いです。

最近の記事

オホーツク人の交易の港〜目梨泊

けさ(2024年9月23日)の地元新聞(北海道新聞 日曜Navi)に私の出身地、枝幸町目梨泊地区の特集記事があった。 目梨(通称)では、2018年(平成30)8月、地元の高校生が参加して金や漆の蒔絵が施された“黄金の刀“『金銅装直刀』が発見された。 当時は、大きな発見としてマスコミでも話題になったことを覚えている。 遺跡は、以前より調査され様々な遺物が発掘されていたが、1999年(平成11)10月、枝幸町に『オホーツクミュージアムえさし』が開館し、ここに出土品が展示された

オホーツク人の交易の港〜目梨泊

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    13本
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