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ニーチェ霊解

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#ニーチェ

ニーチェ「孤独の聖域・孤独の楽園」

ニーチェ「孤独の聖域・孤独の楽園」

無意識は抑圧された深層ではなく、あなたの聖域です。それは、あなたが本来の自分らしく生きられる自由な世界であり、心が満たされるあなただけの孤独の楽園です。

この聖域は、あなたの趣味が色濃く反映された空間であり、選ばれた人だけが入ることを許されます。

しかし、聖域の最奥部には至聖所があり、そこに入れるのはあなただけです。そこには神がいます。そこで自我が自己(神)に会い、自分が何者なのかを知るのです

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ニーチェと荘子ともののけ姫 存在しない理想のパートナー

ニーチェと荘子ともののけ姫 存在しない理想のパートナー

ツァラトゥストラは孤独でしたが、鷲と蛇が一緒にいました。

『荘子』に登場する神人も山に独りで住んでいましたが、飛竜が共にいました。

もののけ姫のサンも人間とは関わらず、山犬と一緒にいました。

彼らと動物たちは、以心伝心の関係であり、打てば響くような仲でした。これらの動物たちは、理想的なパートナーの象徴です。しかし、あくまで理想であるため、現実世界で出会うことはできません。

人間は、分かり合

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禅僧ニーチェ 道徳を超越した無邪気な悪意と笑い

禅僧ニーチェ 道徳を超越した無邪気な悪意と笑い

ニーチェは、道徳家でも有徳者でも聖人でもなく、「悪意」に満ちた存在です。

彼には「賎民」や「同情」を嘲笑する悪魔的な一面があるため、『ツァラトゥストラ』の思想は万人受けするものではありません。真面目な人にとっては、不快な書物となるでしょう。

ただし、ニーチェの悪意は「健やかな悪意」であり、「無邪気な悪意」です。彼の哄笑はカラッとした笑いです。

ニーチェ=ツァラトゥストラは、臨済のような禅僧と

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ニーチェ「恐怖や緊張を克服する方法/妬みから解放される方法」

ニーチェ「恐怖や緊張を克服する方法/妬みから解放される方法」

あなたには、怖いと思う人や、意識して緊張してしまう人がいますか?

恐怖や緊張を感じたときは、『ツァラトゥストラ』の「まむしのかみ傷」の話を思い出し、「自分は竜であり、相手は蛇である」と考えるのです。

「相手とは格が違う」と考えることで、余裕が生まれ、恐怖や緊張から解放されます。

ツァラトゥストラが微笑みながら蛇と会話したように、格が違いすぎると見下すことさえしません。

また、「ツァラトゥス

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呪術廻戦『羂索の物語』 現代版ツァラトゥストラ『羂索かく語りき』

呪術廻戦『羂索の物語』 現代版ツァラトゥストラ『羂索かく語りき』

羂索とツァラトゥストラの人間観は共通しています。それは、「肉体は魂であり、魂は肉体である」という考えです。

現代の科学では、脳のデータをハードディスクに移す研究が進められていますが、もし肉体に魂が宿っているのなら、脳のデータを移動できたとしても、魂のないアンドロイドができるだけです。

魂とは何かについては、宗教では不滅の存在とされてきましたが、現代の科学では意識の別名とされています。

魂=意

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神と悪魔の顔を持つニーチェ 人間性とテクストの快楽

神と悪魔の顔を持つニーチェ 人間性とテクストの快楽

ニーチェは神と悪魔の両方の顔を持っています。彼は嘘をつき、欺き、読者を眼下に見下ろし嘲笑することもあります。そのため、ニーチェの言葉をそのまま信じてはいけません。

『この人を見よ』では、「なぜ私はこんなに賢明なのか」「なぜ私はこんなに利発なのか」「なぜ私はこんなによい本を書くのか」といった大袈裟な表現を繰り返していますが、その誇張によって「これはユーモアで言っているのですよ」ということを読者に伝

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ニーチェ「神殺しと力への意志」 ギリシア人の美しさの源

ニーチェ「神殺しと力への意志」 ギリシア人の美しさの源

ニーチェは神を殺し、最終的には自らがディオニュソスの神となりました。『エヴァンゲリオン』の碇ゲンドウも神を殺し、自ら神となりました。

「ディオニュソスの神」は力への意志が盛んな神であり、その対極には「デカダンスの神」がいます。この神は力への意志が衰えた存在です。

自ら神となるという「狂気」の沙汰は、力への意志、つまりあふれるばかりの力、健康、充実から生じます。

力への意志が衰えた者は「幸福」

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ニーチェ 「烈火の中から生み出す世界」

ニーチェ 「烈火の中から生み出す世界」

他者に理解されなくても、評価されなくても、気にすることはありません。常に自分の内に秘めた火を燃やし続けるのです。他者に吹き消されてしまう程度の弱い火であってはいけません。

他者を満足させるのではなく、自分を満足させる世界観の創造に力を注ぐのです。

独自の世界観を作るための材料はたくさんあります。それらをどう組み合わせるか、そこに美意識とセンスが問われます。

人は自らの美学を追求し、それを形に

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ニーチェ「忘却と記憶の樽」 権威として語る

ニーチェ「忘却と記憶の樽」 権威として語る

他者に自分の考えを伝えて、「その根拠は何ですか?」と問われても、答えられるものではありません。その根拠となるものは遠い昔に忘れてしまっているからです。

自分の考えの根拠を説明する際に、他者の権威を持ち出す必要はありません。裏付けとなるものを提示したり、権威ある文献を持ち出す必要もありません。

他者に根拠を聞かれた場合は、「私が根拠です」と答えれば良いのです。あなた自身が根拠となり、権威となるの

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ニーチェ哲学のアルファとオメガ 「笑い、踊り、歌え」

ニーチェ哲学のアルファとオメガ 「笑い、踊り、歌え」

ニーチェの哲学では、超人、永遠回帰、力への意志などの用語がクローズアップされ、難しく解説されますが、ニーチェが言いたいことはとても単純で、生きること、大地を愛すること、笑うこと、踊ること、歌うことを何よりも伝えたかったのです。

これが「超人」の姿です。超人はこの大地で笑い、遊ぶ存在なのです。

笑わないこと、楽しまないことは罪なのです。ニーチェは読者に、駱駝のように忍耐や努力する真面目な存在から

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ニーチェ「超人になる方法」 優等生は超人になれない

ニーチェ「超人になる方法」 優等生は超人になれない

『ツァラトゥストラ』にはたくさんのキャラクターが登場しますが、特に重要な登場人物が二人います。それは「道化師」と「牧人」です。彼らだけが「超人」となったことが暗示されているためです。

ツァラトゥストラは、人間を超克する道と方法は沢山あると言っていますが、彼らはそれぞれ違う方法で「超人」になりました。今回は二人のうち「道化師」だけを見ていきます。

道化師は軽々と人間を飛び越えて超人になりました。

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遊戯する存在 荘子の神人とニーチェの超人

遊戯する存在 荘子の神人とニーチェの超人

『荘子』に出てくる「神人」は、『ツァラトゥストラ』に出てくる「超人」と似たような存在です。

生きることと遊びが一体化した無垢な子どものような存在です。子どもは超人を象徴する存在です。

キリスト教と無縁の日本人には、ニーチェの思想よりも荘子の思想の方が親しみやすいかもしれません。

ニーチェ哲学を実感する方法 書斎を捨てて、大気のなかへ

ニーチェ哲学を実感する方法 書斎を捨てて、大気のなかへ

ニーチェは、埃まみれの書斎に閉じこもって机上の空論を作り出す学者とは違い、森を散歩し、山に登り、自然の中で思索しました。永遠回帰という啓示を受けたのも「巨大な岩のほとりに立ちどまった」時でした。ニーチェは学者というよりも預言者のような存在でした。

ニーチェが言う「大いなる正午」は、涼しい部屋で彼の著作を読んでいるだけでは理解できるものではありません。真の意味を理解するためには、正午に外に出て、自

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ニーチェ「潔癖の本能」 人との交際は忍耐の試練を課す

ニーチェ「潔癖の本能」 人との交際は忍耐の試練を課す

ニーチェは潔癖症でした。「不潔な生活条件のもとでは命があぶない」ほどの症状でした。

また、人間関係においても潔癖症が深刻でした。彼は他者の「内臓」とでもいうべきものを生理的に知覚してしまうため、人との交際は「少なからぬ忍耐の試練」となりました。

ニーチェの著作は、そのような彼の鋭敏な感覚から生まれたのです。

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自分自身に対しての極度の清潔癖が、わたしの生存の前提となっ

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