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親しい友達の基準

「親しい友達」の基準ってなに?

Instagramのストーリーを表示する相手を選びます、そのための「親しい友達」機能。よし、親しい友達を作ろう、と思ってもすぐに手が止まる。親しいって、どこから?親しかったけれど、もう数年連絡を取り合っていない友人は?話したことはあるけれど、たった一度、それっきりの友人は?親友の友人は、、。仮にこの子を親しい友達に入れなかったとして、その子がわたしの親友と話す機会があれば、きっとその子の耳にわたしの話は届いてしまう。どうしよう。ああ、もうわかんない、やめた。

日を変えて再挑戦。「このストーリーを見てほしい人」を親しい友達に入れてみた、けど。

「中途半端だなあ・・・。」

同じコミュニティにいるけれど、別に見せる必要もなく、見てほしいわけでもない人、けれど見せないと今後が大変になりそう・・・。色んなしがらみを振り払ってまで使いたいとは思えない、うーん。諦めた。

結局、親しい友達がコロコロ変わる生活を続けている。これはこの人、これはあの人。ストーリーのミュート機能も、親しい友達と同じ理由で上手く使いこなせない。難しい、SNS。世間の波に逆らって生きているようで、SNSの中では誰よりも従順なわたしでした。

学校は嫌いでした。前にならえ、右向け右。でも、誰よりも注目されて褒められるのは「個性」のある「特別」な子。変な空間、生きづらい場所だった。

大学の卒業式には行きません。袴の予約もしていない。正直、生活費を全てアルバイト代で賄っているため、袴に充てるお金がない、というのが事実。母はお金を出す、と言ってくれたけれど、たった一日、なんの思い出もない大学生活の最後にひとりで華やかになったところで、わたしの何かが満たされるわけではない。見栄を張るための自己投資に、家族のお金を使用するメリットも感じられなかった。わたし自身、袴のためにアルバイトを頑張ろう、とも思えなかったし、たぶん、わたしにとって大学生活はそれぐらいのものだった。

わたしが大学を卒業した後、「親しい友達リスト」に入っている友人はいるだろうか。親しい友達に入ったり、出て行ったりした人は何人もいたけれど、みんな元気かしら。みんな、わたしから「元気?」とメッセージを送らないと会えないような人ばかりでした。たまに連絡をくれる友達はみんな男の子で、男の子に対して不信感だらけの今のわたしは、本当にひとりぼっちになってしまった気がした。わたしが卒業式にいないこと、誰か気づいてくれるのかな。わたしの名前と顔、思い出してくれるのかな。

もしわたしが男の子だったら、何の迷いもなく卒業式に出ていたと思う。けれど、わたしは紛れもなく女の子だし、見栄を張る集団の中では自分自身も見栄を張っていたい人間だし。袴を着ない、友人がいない、そんな状況で卒業式に行こう、と思えるような強い人間でもない。

きっとこの日々を思い出してもわたしは後悔しないだろうけれど、「普通」とたくさん比べて、孤独になりたいと思ってしまう癖は直りません。卒業式に行かなかったこと、たぶんわたしは、わたしの中のひとつの「美」としてみんなに話してしまうのでしょう。そんなわたしでも許してくれますか。本当の気持ちはどこにもない、気持ちを確かめるどころか、気持ちを優先できるような選択肢が、わたしにはない、と嘆いていたいわたしがまだ、ここにいます。

ありがとうの反対は「当たり前」。わたしが日々なにかに感謝して生き続けられるのは、当たり前のない生活を経験しすぎたせいでしょうか。もしそうなのであれば、わたしのこの日々は、だれにも負けないぐらい幸せなのでしょう。

「どうすれば、何があれば、幸せになれるかと考えているとき、ヒトはあんまり幸せではない。」ー谷川俊太郎


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