記事一覧
NHKラジオ深夜便に出演いたしました
先日、三浦綾子初代秘書の宮嶋裕子としてNHKラジオ深夜便に出演いたしました。アナウンサーの方に大変丁寧にインタビューいただきまして、楽しくお話をしてまいりました。生い立ちのこと、子育てのこと、三浦綾子夫妻とのことなど、お話しております。
しばらくの間こちらから配信をお聞きいただけますので
よろしければどうぞ。
ブログも更新しなければと思っているのですが、なかなかできず、恐縮です。また書いていき
出る!出る!!勿論、出る!!! - 黒柳徹子さんとお会いした話
ニューヨークに住んでいる長女みぎわから電話が有ったのは、6月末の事だった。
「ママ!あのね、徹子さんがYouTubeで『徹子の気まぐれTV』の配信を始めて一周年なんですって。その記念に、徹子さんと話したい人を募集しているの。
ママ出たい?徹子さんと話したい?ママは、ずーっと前から、みぎわ早く有名になって『徹子の部屋』に出て!!それを見るのがママの夢なのと言って居たでしょう。でもね、ニューヨーク
いのちについて - 遺書をカバンに入れて暮らしていた私が思うこと
前回のブログを書いてから、6週間も経ってしまった。「ブログを楽しみに待って居ます」とメールをくださる方も有り、有難く、更新できていない事を申し訳無く思って居た。
遅くなった理由の一つは、夏野菜の植え付けシーズンだったこと。
結婚した時に住んだ社宅に庭が有り、皆さん野菜を育てて居たので、私も挑戦。以来、夏野菜の9割は自給自足の生活なのだ。東日本大震災の時、畑には野菜がありキウイの樹まであって本当
4月25日は三浦綾子さん生誕100年
今年は、三浦綾子さん生誕百年と言うことで、様々な本が出版されたり、雑誌では、特集が組まれたりしており、私にも原稿依頼が有って、幾つか書かせていただいた。
出版社は早めに準備なさるので、もうほとんどの本が出版されていて一段落したのかもしれないが、実は、今日4月25日が百回目の誕生日、その日なのだ。原稿は、何日も何日も、綾子さんの生涯を思い出しながら、心を込めて書いたつもりだが、あのように大きな人の
「裕子ちゃん、後継ぎしてね」と言われ続けて
「裕子ちゃん、何か書いて居るかい?」と綾子さんに何度言われた事だろう。「かい」と言うのは北海道弁の懐かしい響きで、今も綾子さんの声が聞こえてくるような気がする。
常に紙と鉛筆を置いて気が付いたことをメモ
何故か綾子さんには「後継ぎしてね」と繰り返し言われたのだが、書いて居るかどうかと問われることも多かった。結婚して二年後に娘が生まれ、四年後、六年後と次々三人の子供が生まれて、育児に追われる日々の
この出会いがなければ『塩狩峠』は、生まれなかった (三浦綾子初代秘書として生きて - 8)
『塩狩峠』は、発行部数約300万部と言うミリオンセラーで、綾子さんの作品の中でも『氷点』に次ぐ代表作だ。映画にもなり、尚且つ、世界13の国の言葉に訳されてもいる。
この小説は、明治時代の史実を基にして書かれた。急勾配の峠で連結器が外れて逆走してしまった列車を、国鉄職員だった長野政雄さんという方が、線路に身を投じて列車を止め、乗客の命を救ったお話だ。
先日は、『塩狩峠』を読んで、もっと三浦綾子さ
秘書になったわけ - (三浦綾子初代秘書として生きて 6)
私は今迄、幾度となく「どうして三浦綾子さんの秘書になったのですか?」と質問されてきた。そのたび、精いっぱい思うところを話してきたが、今回、これが根底にあったのだ!と気付いた事がある。
秘書になる時、試験があった訳でもなく「秘書として働いて貰えますか?」と言われたわけでもなかったから、自分でも本当の理由は、分かっていなかった。
あなたは わたくしの秘書、に「エ〜〜〜???」
「綾子さん、何か手伝
文学史に残るより、誰かを救うことの出来る作品を - (三浦綾子初代秘書として生きて - 5)
綾子さんが天に召された後も、綾子さんがたくさんの方のお名前を実名で本の中に取り上げた故に、書かれた人と読者の間には多くの麗しい交流が生まれた。
綾子さんが実名で書いた人の中から、今回私は、辻本清臣牧師を御紹介したい。
辻本先生は、綾子さんが心底敬愛していた榎本保郎牧師が主人公の『ちいろば先生物語』(集英社)に登場する方である。私がご紹介したいのは、辻本先生が長くアメリカに居られた為、お会いした
この家を私物化しないように - (三浦綾子初代秘書として生きて - 4)
綾子さんは著書の中に、実名で沢山の人々の事を書いた。
24歳から36歳という実に13年もの間、肺結核・脊椎カリエスという重い病の日々を過ごした過ごした綾子さんは、自ら社会に出て人々と出会うことは難しかった。しかし、出会った人がまた、人を紹介してくれて、病床の綾子さんには豊かな人間関係が生まれていた。夫の光世さんも、その紹介の中で出会った人で有り、後に伝記小説に書いた『愛の鬼才』(新潮社)の主人公
嘘つきって、想像力豊かだっていうことでしょう (三浦綾子初代秘書として生きて - 3)
三浦家での昼食は最高の時間だった。小さなカウンターのようなテーブルで向かい合って、家事を任されている姪御さんの作った食事を一緒に頂く、いわば賄『夕あり朝あり』い付きであった。
講演先でこの話をすると、「同じものを食べたのですか?」と質問されることがあったが、勿論同じ食事。光世さん綾子さんは決して自分達だけが美味しいものを食べるような人ではなかった。むしろ美味しいものを食べさせてあげたいと思ってく
予想のつかない台詞がいっぱいだった綾子さんとの会話 (三浦綾子初代秘書として生きて - 2)
綾子さんは、こちらが全く予想できないような言葉を発する人だった。それは綾子さんの言葉選びの才能故だったのかもしれないし、悪戯っ子のような性格が故だったのかもしれないし、相手への愛の故だったのかもしれない。
夫のことを愛しているかい?「ところで、アンタ、夫のことを愛しているかい?」と、突然綾子さんに聞かれたことがある。綾子さんと電話で話していた時のことだ。私は一瞬止まってしまったあと、まず夫婦仲の