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4月25日は三浦綾子さん生誕100年

今年は、三浦綾子さん生誕百年と言うことで、様々な本が出版されたり、雑誌では、特集が組まれたりしており、私にも原稿依頼が有って、幾つか書かせていただいた。

出版社は早めに準備なさるので、もうほとんどの本が出版されていて一段落したのかもしれないが、実は、今日4月25日が百回目の誕生日、その日なのだ。原稿は、何日も何日も、綾子さんの生涯を思い出しながら、心を込めて書いたつもりだが、あのように大きな人の事を書ききれるはずもなく、、原稿を送った後も、綾子さんの事を思い続けて居る。

そして今日、何故か私は、午前2時に目が覚めてしまった。再び寝ようと試みたが、眠れぬまま、残された初代秘書として知り得た、綾子さんの姿を伝えたくて、このブログを書き始めた。先ず、私には生誕百年と言う遠い日では無く、最期の入院の2か月位前の綾子さんの笑顔が思い出される。

子分が出来たからね!

かの日、いつも仕事で三浦家にお見えになる北陸銀行の大井さんと言う方が、ノートパソコンを持ってお出でになった。「綾子先生、今、パソコンの中では、こんなことになって居るのですよ」と言って、色々な人が作って居られる「三浦綾子のホームページ」と言うものを見せて下さった。ほんの10分位の事だった。大井さんが帰られた後、何時もは一人で立つことの出来ない、歩けない綾子さんが、明るい顔で、居間を歩き始めた。驚いて「綾子さん、何か良い事が有ったの?今日は、お元気ですね」と聞くと「ウン!子分が出来たからね」との事。「子分?」「そう、インターネット」と綾子さんは答えた。

綾子さんは、たった10分位ホームページを見ただけで、インターネットの働きの大きさ、広がりを理解したようであった。パーキンソン病が非常に進行して居たが、綾子さんの理解力、洞察力は少しも衰えてはいなかったのだ。その日から、半年も経たずに綾子さんは天に召された。

1976年秋、綾子さんはカナダ、アメリカに講演に行く予定だった。しかし春先に、心臓の具合が悪くなりドクターストップが、かかった。こちらに先日に書いたとおり、先方の準備が整った後でのキャンセルだったので、綾子さんは胸を痛めていた。そんな綾子さんの元に、招聘側のロサンゼルスホーリネス教会の辻本清臣牧師から「当方としても残念ですが、何よりも、体を大切にしてください。書くと言う神様から与えられた使命を第一義にして、回復に努力してほしいと思います」と手紙が届いた。その時の事を綾子さんは「思い出すたびに、申し訳の無さで胸が痛んでならない」と言って居たが、辻本牧師の言葉に励まされ「裕子ちゃん、そうだよね。講演は、その時聴いた人にしか届かないけど、書いたものは死んでからも残るもんね」と、しみじみ話していたのを綾子さんが亡くなってから度々思い出す。

書いたものは、死んでからも残る

綾子さんが「子分が出来た」と喜んだのは1999年だった。インターネットの普及期は、その少し前、1996年頃だったとか。その時は何と、綾子さんが書けなくなった時期と重なっている。2000年から2001年頃には、インターネットで知り合った人々が出会う、繋がる機会も広がった。

特に、2001年と言う年は、特筆すべき年であった。この年の5月、後に「光綾の会」と命名された綾子さんのファンの集いが東京で始まり、6月に福岡で「三浦文学を語る会」が始まり、7月東京で「三浦綾子読書会」が始まった。

三浦綾子読書会の2号目の紀要。紀要とは研究した内容を発表するものという意味で、三浦綾子の作品を読んで学んだことを発表する場としてこの冊子が制作された。

これらを発足させた方々は、お互いを全く知らず、それぞれに「神様の愛を伝えたい、人々に生きる勇気と希望を伝えたい」という綾子さんの思いを届けようと一歩を踏み出されたのだった。

数か月の間に、この三つの会はインターネットを通して出会い、共に協力しあって素晴らしい展開を遂げ「三浦綾子読書会」として全国に広がった。

「三浦綾子読書会」に出席すると、直ぐに兄弟姉妹の様な親しみと安らぎを感じることが出来ると思う。癖になる安らぎと解放感がある。コロナ禍で集まれない時期が続いていたが、2022年4月23日「三浦綾子読書会」20周年記念及び、綾子さん「生誕百年記念集会」がオンラインで開かれた。20周年を記念して「記念誌」をつくることになり、原稿を募集したところ何と、100人もの投稿が有り、計240ページの記念誌が出来た。どのページにも綾子さんの作品に出会えた喜び、それを伝えたいとの情熱が溢れている。全国各地で約200位の読書会が有り、紀要も2冊発行され、パソコンのプロも居られ、リードして下さるので、旅をしなくても、各地の読者の方々と出会えている。現在は海外にも「三浦綾子読書会」は、広がっている。

綾子さんが、これを見たら何というだろう。

綾子さんが天に召されても、祈りを込めて「命ある限り」書き続けた綾子さんの作品は、読み継がれ、人々を励まし愛の絆を結び続けている。

三浦綾子読書会20周年の記念誌がこちら。100人ほどの読書会メンバーが寄稿した。

追伸
音声SNSクラブハウスにて、三浦綾子さん生誕100年に思うことを70分ほどお話させていただきました。インタビュアーは長女の宮嶋みぎわです。アーカイブ録音を、どなたでもお聞きいただけますのでご利用ください。こちらのリンクからどうぞ。

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