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出る!出る!!勿論、出る!!! - 黒柳徹子さんとお会いした話

ニューヨークに住んでいる長女みぎわから電話が有ったのは、6月末の事だった。

「ママ!あのね、徹子さんがYouTubeで『徹子の気まぐれTV』の配信を始めて一周年なんですって。その記念に、徹子さんと話したい人を募集しているの。

ママ出たい?徹子さんと話したい?ママは、ずーっと前から、みぎわ早く有名になって『徹子の部屋』に出て!!それを見るのがママの夢なのと言って居たでしょう。でもね、ニューヨークに住んでいたら、どんなに頑張って大きな仕事をしても、日本のテレビに出演させていただくのは難しいのよね。これは、徹子さんと直接お話が出来るチャンスだと思うの。そうだ!!ママ!親子共に出演希望って書こうか?二人の名前で応募メール出そうか?」

という電話だった。

私の返事は決まって居た。何の迷いも無い「出る!出る!勿論出る!!」。

私も長女みぎわも、話しながら不思議な感覚を覚えていた。それは『この願いは、叶う』という感覚?第六感?と言うより、確信と言っても良い感覚だった。そして、その予感は、当たった!

40年以上の徹子さんファン

スタッフの方から、ズームで打ち合わせをしたいと連絡が有ったのは、応募メールを送信した数日後の事だった。何と、『徹子の気まぐれTV』出演は、みぎわから誘いの電話から、10日程後の7月6日生配信。何と、みぎわが出演者募集を知ったのは、応募締め切り数日前。此れは、「知った」と言うより気付かされた事の様な気がした。

「徹子さん」とは、勿論「黒柳徹子さん」の事で、私が馴れ馴れしく「徹子さん」と呼ぶには訳が有った。私は、ある時『徹子の部屋』の軽妙な話のやり取りを観ていて、これをずっと観て居たら必ず話上手に成れると確信した。その日から私は、話上手に成りたい一心で、『徹子の部屋』を観ながら昼食を食べて来た。40年も、毎日徹子さんのお顔を拝見しているから、どうしても親しみをこめたくなってしまう。何年か過ぎたあたりで『徹子の部屋』は、徹子さんが、聞き上手である故に楽しい番組になって居るのだ!!話上手になる事を学べるものではない、と、気が付いたが、74歳になった今も『徹子の部屋』は昼食の友であり、私は黒柳徹子さんを「徹子さん」と呼び続けて居る。

『窓ぎわのトットちゃん』は夢と希望

出る!には、もう一つの理由があった。『窓際のトットちゃん』だ。

今や発行部数800万部33の国の言葉に翻訳されているという徹子さんの著作で代表作『窓ぎわのトットちゃん』が出版されたのは、長女みぎわが小学校に入学した頃だった。

娘は、徹子さんの様に、チンドン屋さんを窓際で待って呼び込むほどでは無かったが、かなり個性的な子供だった。先生にとっては、面倒くさい、理解しにくい困った子供だったかもしれない。

何年生の時だったろう?「ママ!!!只今!」と元気いっぱいに帰宅したみぎわ。「お帰りー!」と声の方を振り向いて驚いた。何と、みぎわの背中には、ランドセルが無かったのだ。「みぎわランドセルは?」と言うと「アッ!忘れた」と、直ぐに走って学校に戻って行った。(学校が近くて良かった)

多分みぎわは、学校で何か素敵な事が有って、下校時「先生さようなら、皆さんサヨウナラ」と挨拶した途端「一刻も早くママに話したい」と、教室を飛び出して帰宅したに違いない。

みぎわは、このランドセル事件だけではなく、忘れ物の多い子供だった。担任の先生は「忘れ物表」を教室に張り出して、恥ずかしくて気を付ける様になる事を願ったが、やがて諦めた。「妹さんは忘れ物しないのに、お姉さんなのに貴女は、何故ちゃんと出来ないの」と叱られたりもしたようだが、懲らしめ、辱め等で治るような忘れん坊とは違っていた。

よくよく観察してみると、集中力が凄かった。チラッと見たものに関心を持つと、周りが見えなくなるのであって、記憶力不足、理解力不足では無い事が分かった。忘れることで人に迷惑をかけないようにと折々に注意はしてきたが、多分「忘れる」事は、現在も継続中ではないかと思う。その集中力で良い仕事をして、幸せを運ぶ人になって欲しいと願いながら、みぎわを育てて来た。山手線の騒音の中ででも作曲が出来ると言っていた娘は今、ニューヨークで作曲家、音楽家として生きている。

徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』は、故郷を離れて孤軍奮闘で子育てをした私に、夢と希望を抱かせてくれる本だった。だから『徹子の気まぐれTV』に出られるのは、本当に嬉しい事だった。

医科歯科大の先生の意外な反応!

私は7年ほど前に上顎に歯肉癌が見つかり、上顎の三分の一以上を切除して、人工の顎を装着して生活している。この人工の顎は「顎義歯」と言う。顎義歯専門の科は少なく、私が癌の手術を受けた大学病院にも無かった。手術から2年位経った時、主治医が「宮嶋さんは、講演をなさる方ですから、顎義歯を作る専門の病院行ってみませんか?」と、東京医科歯科大学病院を紹介して下さった。手術をした大学病院でも、一般的な顎義歯はつくれるが、東京医科歯科大では発音がより明瞭になるように、精密に作って下さる専門の科が有るのだった。北海道からも治療に来ておられる方もあった。私は、片道90分。有難い事だった。

TV出演の直前に医科歯科大の診察が有ったので、先生に「6日に『徹子の気まぐれTV』に娘と出るんです」と報告した。先生の反応は思いがけないものだった。

「ま~~~~!何と素晴らしい!宮嶋さん、それは、同じ病気の方達にどれ程の励ましになる事か!凄い、凄い!!」

と満面の笑みで手を叩いて喜んで下さった。

そんなに、役に立てるのかと嬉しくて「先生、9月には岡山県、徳島、高知と3日連続で講演もします。TVの事と合わせて、学会で報告して下さい。」と、追加報告もした。顎癌の手術後に講演をしている人など聞いたことがない、と喜んで「学会で発表したい」と以前言って居られた先生にとって、今回私が徹子さんと話せることは、素晴らしいニュースであった様だった。

先生の喜んで下さる様子を見て、私は、改めてこの癌の難しさと術後の大変さを再認識した。そして、生かされてある日々の意味を思った。精一杯、前を向いて、歩んで行こう。生きているだけで人を励ませるとは、何と幸せな事か!と。

70歳の誕生日には、この顎義歯のおかげで10曲を独唱するコンサートが出来た。ニューヨークでみぎわの伴奏で実施したのだ。以前は、幾度か2人でコンサートをしたことが有ったが、顎の手術の後に歌える日が来るとは思ってもみなかった。顎癌だった事をご存知だった聴衆の皆様は、終始涙、涙だった。このコンサートは、みぎわからの誕生日プレゼントだった。

「お花綺麗ね」「お母様、お綺麗ね!」

あっという間に『徹子の気まぐれTV』当日。朝早くに目が覚めた私は「そうだ!!お花を生けよう。」と急に思い立ち、庭の花を摘んで来た。

紫陽花は、10年前の母の日に三女から贈られ庭に植えたもの。そして、何時しか繁茂していた野の花オカトラノオ。ズームに慣れていない私には、どう配置したら美しく見えるのか分からず、画面の端の方に少しだけになったが、徹子さんは気が付いて「お花綺麗ね」と言って下さった。おまけに、みぎわに「お母様、お綺麗ね!」とも言って下さった。綺麗といわれたのは、74年の人生初の事だった。

クリックで私とみぎわが登場するシーンに飛びます

生配信が終わって。

「お綺麗ね」との言葉が、心の中で響き渡って居た。

顎癌の手術をした私の顔は、微妙に変化している。人々は「全然、分かりませんよ。」と言って下さるけれど、当然、自分ではわかる。

癌の手術が決まった時、当時「糖尿病治療」で通院していた病院の院長先生に「顎癌の手術をするので、暫く伺えません」と伝えた。その時、先生はジッと私を見つめて「宮嶋さん、今は、癌の治療法は色々あります。僕は顎癌の手術をして人生が変わった人を沢山見て居ます。もう一度、担当の先生とよくよく相談して考えて下さい。」と言って下さった。先生の優しさが、心に沁みたが、私の癌は、かなり進行して居て、多分時間の余裕は無いと思われる状況だったので、手術を決断した。

再び通院出来る様になって再会した時、手術の傷痕が目立たないのを見て、心から良かった!良かった!と喜んで下さったあの、院長先生に、徹子さんの「お綺麗ね」との声を、お聞きいただきたいと思った。喜んで下さるに違いない。綺麗かどうかは別にしても、少なくとも、YouTubeの中の私は、幸せそうな笑顔だった。

生配信の前の日、みぎわからの贈り物が届いた。パソコンの前に設置して、顔を明るく美しく見せるライトだった。当日、本番前にスタッフの方と打ち合わせしている時には、夫の携帯に「ママに口紅をもっと濃く塗るように伝えて下さい。」とか「ライトはもう少し上に」と細やかな指示があった。私が携帯を手元に持って居ないと、予想しての連絡だった。

イヤリングは「いつも綺麗でいてください」と高校時代の友人から贈られた物。ネックレスは昨年亡くなった兄の妻が、兄とお見合いする時(60年前)着けていたものだった。それを私が二十歳の時、合唱のコンサート独唱があった折にプレゼントしてくれたものだった。兄が生きて居たらさぞかし喜んでくれたに違いないと思って選んだ。そして三女の紫陽花。皆の愛と共に出演させて頂こうと思って準備したのだったが、徹子さんは「それに、アクセサリーも素敵ね!」と言って下さった。夢の様な時間だった。

後日「愛をこめて。黒柳徹子」とサインの入ったノートと、ポーチが、届いた。

娘の分と私の分をわざわざ分けて送ってくださった

出演にあたって、急いで徹子さんのご著書、お母様「朝さん」のご著書を読んだり、過去の番組を見直したりした。手元に無い本は、取り寄せて、、、思う事、皆様にお伝えしたい事が沢山有って、今回は、書ききれない。整理して近日中にブログを更新したいと思って居る。是非、お読み下さい。

*8月9日は、徹子さんのお誕生日でした。おめでとうございます!


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