記事一覧
自分がnoteとどう向き合っていくのか、関わっていきたいのかを真剣に考えんといかんなと思いました。いまのままではしんどくなるなと。いろんな自分がいてその一人一人と折り合いをつけていくのが難しい。心の底から書きたくなるまで、それを読んでもらいたくなるまで休みます。ちょっと疲れた。
血は水よりも濃い(紫式部と藤原宣孝、源倫子の先祖をたどってみた)
※この記事は以前のものを大幅に加筆&修正したもの。今回は藤原道長の家系は除き、藤原宣孝と源倫子、それから紫式部の家系をまとめた。
この記事はいまや完全にわたしの自己満足。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まず、道長の妻の源倫子と紫式部の夫の藤原宣孝の先祖をたどる。何故この二人かというと二人の曽祖父が藤原定方でわりと近い親戚だからである。
源倫子
倫子→
何故ひとはされたら嫌なことを平気で他人にするのだろう
人からされて嫌なことは人にはしないという言葉があるけれど、これが出来ない人が大勢いるのはなぜだろう。その理由を考えてみてももう一つ納得のいく答えが出ない。
人からされて嫌なことは人にはしない。小学生の頃からよく聞く言葉だと思うんだけれど、大人なのにこれが出来ない人が大勢いるのには本当に理解に苦しむ。わたしは先輩からこういう嫌なことをされた。だから後輩には同じことは絶対にしない。こう思うのが普
最近noteに思うこと
好きだったクリエイターさんがnoteから去った。自分が書いたものが多くの人に見られているということが次第に怖くなってきたからだと言っていた。なんとなくわかるような気がした。
インスタやXでは全然知らない人からいいねをつけられてもフォローされても何とも思わない。変なコメントを投げつけられても無視しておしまいである。でもnoteでは素性が分からない人からフォローされたりコメントを書かれると怖くな
つまらない話を面白くする
いまからなにが書きたいかというとタイトルのままである。これは文章を書くことに限らず何事においてもそうかもしれないとも思う。
たとえば絵画でも、モネのあの素晴らしい作品群なんて、こんなことを言ってしまうと叱られそうだがただの睡蓮であるし、日傘をさした女の人である。ねえねえよく見て、この睡蓮ってよく見るとただの睡蓮じゃなくてさ、とか、この日傘をさしている女性ってよく見たら指が6本あるんだよね、びっ