ジャイアンツのノーノ―の試合を観ながら

 5月24日の阪神タイガース対読売ジャイアンツの試合をテレビにかじりついて観た。プロ野球に関心のあるかたならもう結果はご存じのとおり、試合は1対0で我らがタイガースの負けであった。しかもジャイアンツ相手に本拠地である甲子園球場でノーヒットノーランを喰らう(汚い言葉ですんません)という屈辱の敗戦であった。

 そんなわけで追う阪神側にしても追われる巨人側にしても目が離せない試合展開となり、家事も後回しにしてテレビ画面にくぎ付けになっていたのだが、テレビ画面に映るマウンドに立つ巨人の戸郷翔征投手の顔をみながらこんなことを思った。

 「ああ、この子(24)にも親御さんがいて、仲間たちがいて、きっとTVの前でハラハラしながら見守ってるんだろうな」

 「親御さんも息子がこんな晴れ舞台で大記録を打ち立てられたら嬉しいだろうな。戸郷がんばれ!タイガースも頑張れ!」

 タイガースファンにあるまじき、憎きジャイアンツの勝利を願ってしまったわたしである。これは姉の目線であり妻の目線でもあった。こんなことは一瞬だけでも許されないことなのだが、わたしは懸命に投げる戸郷の姿をみてこんなことを思ってしまったのである。

 いままでのわたしだったら「おいこら戸郷、おのれのタマなんぞ大したことあれへんしな、坂本もお前のバットなんか全然大したことあらへんぞ!(下ネタじゃないしな。野球の話な)」とか言いながらTVを睨みつけていたわけである。ふがいないタイガース打線にたいしても「おい!あかん!あかんって!もっと粘れやこのあほ!」とか言ってしまうこともあったのだが最近は「そりゃあ長いシーズンこんな日もあるし、選手たちにも子供や奥さんがおるんやし、なにより選手に敬意をもたなアカン」と思うことがふえた。もう自分で言ってしまうけれどこれはわたしの人間的成長だと思う。

 我が家のTVの画面にはよく見なくてもわかる大きめの擦り傷がある。これはタイガースの試合をみながら興奮しすぎてしまい手元にあったリモコンをTVに思いっ切り投げつけたときについた傷である。そしてリモコンはというと何度も投げられたせいで筐体が割れてしまいテープで補修されるという無残な姿になってしまっている。いままではこういう粗相は双極性障害のせいにしていたのだけれど、元々が気性が荒い性分なのかもしれないし、なんでも障害のせいにしたくないというふうに最近は思いはじめてきて、自分でもよく分からなくなってきた。

 とにかくそういったタイガースの勝利を願うばかりについつい熱くなってしまう結果として生じるプチ暴力行為のせいで我が家では一時期タイガース戦はR指定じゃないけれど見てはいけないコンテンツに指定されていた。それが解禁されたのはなんと昨年の夏、タイガースが優勝するかもしれないという段になってからである。今年はタイガースが優勝するかもしれないからサンテレビの中継をお願いだからみせてくださいというわたしの泣きの土下座が夫の胸を打ったのか、おかげで優勝までの道のりをチームとともに歩むことができた。もし観ることがかなわなかったとしたらおそらく夫婦間に一生残る禍根になっていただろうと思う。

 誰にも事情があるということを慮るということはとても大事なことだと思う。そしてその相手がとった言動にも仕事があったり病気があったりといった背景があるわけで。でもそんなことは一切考えずについつい自分の考えや事情で物事を決めつけて判断してしまいがちだと思う。というかわたしはそうなりがちである。この人にも何か事情があるのだろう、背景があるのだろう。そう慮る習慣が身に付けばちょっとしたイライラすることなんかでも、そういうことなら仕方がないなと思えるようになるだろう。そうなればなによりも一々くだらないことで自分のメンタルが乱れることがなくなるわけだから、なんとかその習慣を身につけようと現在試行錯誤中である。

 そんな人が聞いたらあたりまえじゃないかと思われそうなことを今さらながらに考えさせられたタイガースとジャイアンツの一戦だった。戸郷よかったな、おめでとう。まわりのみんなも喜んでいるだろうな。

 

 


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