他人からされたら嫌なことを平気で他人にするのは何故だろう
他人からされたら嫌なことは他人にはしないという言葉があるけれど、これが出来ない人が大勢いるのは何故だろう。その理由を考えても納得のいく答えが出ない。
他人からされたら嫌なことは他人にはしない。小学生の頃からよく聞く言葉だと思うんだけれど、大人なのにこれが出来ない人が大勢いるのには本当に理解に苦しむ。私は先輩からこういう嫌なことをされた。だから後輩には同じことは絶対にしない。こう思うのが普通じゃないのかなと思うんだけれど実際には私達だって先輩から嫌なことされてきたからあんた達にも同じことをする。それがうちの伝統。というふうになるのは何故なんだろうか。宝塚歌劇団に限らずこういう風土の組織はとても多いんだろうと思う。
親に虐待されて育った。だから自分も同じように我が子を虐待する親になってしまった。これもよく聞く話である。心に負った傷が原因だったり愛されたことがないから愛し方が分からないことが原因だったり、児童虐待にも様々な原因があるといわれているけれど、そうならない人もいる。
もしかしたら人間には変化を望まない性質があるのだろうか。たとえそれが良くない風習であっても、昔からこうだからという思考停止のような理由で引き継いでだらだらと続けてしまう道を選ぶのだろうか。
それとも結局のところ、人間にはやられたらその分誰かにやり返さないと気が済まないという性質があるのだろうか。その場合、危害を加えてきた本人に仕返しをするなら理解できるけれど自分よりも弱そうな人間を選ぶところが如何にも卑怯で嫌だ。
パワハラ気質の人、モラハラ気質の人、いじめられやすい体質の人、みなそれぞれ別のグループにして生活させたらどうなるのだろう。いじめられやすい体質の人達が集まればやはりその中でもいじめが起きるのだろうか。恐らくそうなんだろう。
私は他人からされたら嫌なことは絶対に他人にはしない。それは道徳や倫理の話というよりも、そうして身の回りの人達と接していく方が最終的には自分にとって居心地のよい居場所をつくることができるからである。私は27年間の人生経験と夜の仕事でそれを学んだ。
社会は厳しいからそれを教えてやると言わんばかりに人に厳しく接する人がいる。たしかに社会は厳しいですが、あなたのような人が大勢いるから社会が厳しくなるんですよ?と言いたくなる。
みんなもう少し人を思いやろうよ。そんな自分だってたいして立派な人間じゃないでしょ。そう思う。