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【おやすみ前に、お砂糖ひとさじ】自分に厳しく他人にやさしく、なんてできないから

「人にはやさしいけど自分には厳しい、そんなあの人は素敵だよね」
そんな言葉を聞いて、驚く人はそんなにいないと思います。
「あぁ、素敵だね、私もそんな人になりたいな」
そう思う人がきっと大半で、"自分に厳しく他人にやさしい人"は、理想像として思い浮かびやすい存在です。
目指したい姿として・尊敬する姿として、疑いなくそうなりたいと思う人はきっと多いと思いますし、私もそれを以前は真剣に目指そうとしていました。
でも実際にそうなれた時、生き方として立派ではあるものの、その状態で居続けるのはとっても苦しいんじゃないかなと最近は思っています、

人は比較する生き物

人間はもともと、比較をすることで物事を認識する生き物です。
比較して出てきたその差から、"あの人はいいな"とか"もっと自分も頑張ろう"とか、そういう見方が生まれてきます。
比較は悪いことではないし、これがあることで人間は進化を遂げてきたといえるところも多いです。
"あの人よりも上手くやりたい"という気持ちは、時にモチベーションに繋がることだって往々にしてあります。

ここで、自分と他人に瞬時に違う物差しをあてることって、あまりできることではありません。
100点のテストでないと満足できない人は、誰かの80点のテストに心からすごいと思うことって難しいと思います。
"私はこんなにやってるのに、あの人はこんなにやってない"、本音としてはそう思ってしまうことが、大抵どうしても出てきてしまいます。
自分に厳しくするのと同じくらい、心の中では自然と他人にも厳しくジャッジしてしまうのは普通のことです。
ここで"自分に厳しく他人にやさしい自分でありたい"と思い表面上それを表すことができても、心の中にはどこかやり場のない気持ちが渦巻いてしまいがちです。

"自分に厳しく"は自分にダメ出しをしている状態

"自分に厳しく"という言葉が自分へのダメ出しに繋がるとはイメージがつきにくいかもしれませんが、自分に厳しくするということは"自分にはこんなことが足りていないよね"ということを考え続けることになります。
"できたこと"よりも"できなかったこと・不足点"に目を向け続ける状態です。
これは高みを目指す上である程度必要な要素ではありますが、度を超すと簡単に自分を責めすぎる状態になってしまいます。

"自分に厳しく"を徹底して自分を責めすぎると、全般的に苦しくなっていってしまいます。
他人のいいところに目を向け自分の至らないところに目を向ける、それは"自分に厳しく他人にやさしい"状態ではありますが、自然にそう考えるようになった時、理想としていた姿ではあっても結構危険なんじゃないかなと私は思います。
「あの人はこんなに頑張っているのに私は全然だ」というのを、本当は自分がかなり頑張っているのに永遠に思い続けていたら、きっとその人はいつか壊れてしまいます。

自分が満たされないと他人にやさしくできない

自分が苦しかったり満たされていない状態の時って、概して相手の幸せを素直に喜べません。
"他人にやさしく"ありたかったのが、"自分に厳しく"をし過ぎたせいでできなくなっていきます。
自分と他人を違うものさしで見続け自分が小さく見えすぎてしまったことで、他人にやさしくできる余力が失われてしまいます。
やさしさってある程度自分が満たされていてはじめて、思うように心から発揮していけるものです。

自分も他人も同じように扱う

自分に厳しく他人にやさしく、そうありたいと思うことは素敵なことです。
でも自分自身に対しても、他人と同じくらいやさしくしてあげる時間をとって欲しいなと思っています。
それぞれ、"これはよかったな"、"ここはちょっと失敗したな"とか、自分に対しても他人に対してもしっかり捉えて、事実を事実として認めていってください。
自分にはこっそりやさしく、他人にははっきりやさしく。
そういう状態でいられることで、苦しさ少なく憧れに近づいていけたらいいなと思います。


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