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「ブッダ」考えが止まらなくてしんどいのですが、止める事は出来ますか!? 「悟り」

【ブッダの真の悟り、解脱を体現したい方のための専門指導】

中村幸ムとは!?
簡単なプロフィール、数十秒でわかります。


Q、
考えが止まらなくてしんどいのですが、止める事は出来ますか!?

A、
目が目の前の視界を見る働きをしています。

耳が聞こえる働きをしています。

空の天気のように感情も、
身体の感覚も自然現象のように起きています

思う、考えるも自然現象です。

仏道でいう意の働きです。

人間にもともと備わっている働きなのですから、止める必要はない、意図して止まる事もないのです。

この身体の中には、大人になった人でも、
「私」
と言う固定的な実体はありません。

「私」とは概念であり、

「考えそのもの」

「観念知識そのもの」

「情報そのもの」

「私が存在して、生きている」と言う価値観そのものです。

価値観そのものですから、
物理的に「私」は存在していません。

感情や身体の感覚が自然と働き、

観念知識に沿った考え、思いが自然と働き、

その様子がすでに無我無心なのです。

ですから、

「すでに悟っている」

のです。

これから修行でどうにかするのではありません。

ですが、
坐る実践を続けて、

「駄目、悪い、イケナイ」と判断して、問題だと考えで取り上げ、

正したり、変えたり、改善したり、理想通りにとコントロールしたりする、迷妄、苦悩そのものを増幅し続ける、
幼少期からの実体のない、
「考えそのもの」

「私が生きて存在している」
と主張する、
思い込みで作り上げた「架空の私」の消滅と、
自他の認識の完全な一時停止が起きないと、
般若心経で言わんとする事はハッキリしません。

誰しもが、
「すでに悟っている」
と云うことが概念的に理解出来たかと思います。

もうこれであなたは、色々なところにお出かけして、
お釈迦さんの悟り、解脱を外の概念世界や色々な師匠のところに、

様々な本や情報やYOUTUBEの中に、インドやネパールに探しに行かなくてもよくなりましたね。


しかし、実感がありませんよね。


私が見て、私が聞いて、感じている感覚もあるし、
自分と自分以外の認識もありますよね。

ですから、
正しい実践なき実践で坐り、
お釈迦さんの悟り、解脱の体現に与るまで坐って下さい。

さすれば、
般若心経に書かれている事が、
頭の理解ではなく、一瞬で明確に授かる事が出来ます。

お釈迦さんの悟りは、
考えで
「分かる事」でも、

「知る事」でも、

「信じる事」でもありません。


ここまで色々述べましたが、
すべて何もかも忘れちゃって下さい。

固定観念化してしまい、
真の如来坐禅をするのには邪魔になります。


話しを戻しますが、
目や、耳のように、

考えるも、
あなたが存在してやっているではなく、
考えるという働き、機能として無為自然と起きています。


機能としてあたりまえに備わっているのですから、
考えるまま、思うがままに、働いていて問題ないのです。

如来坐禅修行中も考えっ放し、思いっ放しで坐って下さい。


何かしらの出来事で、

「考える事はよくない」「問題だ」
として取り上げ、考えないようにしよう、
考えをどうにかしようとあなたは奮闘、改善してやってきたのですが、
身体の中に考えをコントロールして止められる
固定的な誰かがすでにはいませんから、
止める事は不可能です。

このことに気づいたら意図して考えをどうにかするのを止めて下さい。

あなたが考えているのではありません。

考えが勝手に働き、生じては滅しているのです。

考えっ放し、思いっ放しでかまいません。



「考える」と「悩む」は違います。


「考える」は、日常の物事の様々な問題解決に使います。

仕事中なら
仕事の考えが考えなくても自然と生じてきますから、大丈夫です。

会社の面接を受けに行く時でも、
その場になれば必要な考えが自然と浮かんできますから、
前日に焦ってどう喋ればよいかを悩み続ける必要はありません。

同時に仕事や面接以外の考えも浮かんできますが、
自然と持ち出さないので問題ないです。

頑張らなくても、
自然と仕事や面接に関する考えを使う働きが起きるので、
問題解決にあたって下さい。

ただし、

真の如来坐禅中は、浮かんでくる様々な考えや、
思いの内容を拾い取り上げて、
「問題だ」として、
どうにか改善して「解決しよう」と持ち出すのは止めて下さい。

自然と生じている思いの内容を
考えで取り上げている事に気づいたら、意図して止めて下さい。


本気で意図して観察、観照している事に気づいたら、
意図して止めて下さい。

無為自然と観察、観照が起きたら、
起きてるままで結構です。流れます。

やれていると思い込んでいるだけであって、
そもそも
思考、感情、感覚を観察、観照する事はできておりません。


真の如来坐禅の修行中に、
外の概念世界で言葉を使って働いて、
都会で遊ぶ事も、差支えなく、問題ではありません。

ただし、
難しい、難解な推理小説を読む事は控えて下さい

「悩む」は、
ある出来事を「問題だ!」
として考えで扱い、

考えで
「思う通り」

「理想通り」

「希望通り」

にと損得計算して、
状況を都合の良いようにと期待して、
思考や感情、
人や状況をコントロールしようとし、考え方で追及し続ける事を指します。

あなたは質問で、

「考えが止まらなくてしんどい」

と言っていますが、
そうではなく、「悩みが止まらない」と言っているのです。

その悩んで
苦悩している実体のない奴を
仏道では

「自己」

と呼び、
苦悩、迷妄を増幅させる、消滅すべきものだとされています。

ですから、
あなたの「思う通り」に、
「理想通り」にとコントロールする事に悩み続けている、
その事に気づいたら意図して止めて下さい。
ため息を吐いて深呼吸をして下さい。


都合の良いように今の自分や人や物事を損得計算して、
操作しようとする事を止めて下さい。

そうすれば、
「悩み続ける」という事は解消されます。

気づいたら
大きく息を吐くなどしてみてはいかがでしょうか!?

日ごろ悩んでいるのなら試してみて下さい。

たくさん答えましたが、
正しい悟りの概念的理解が生まれたのならば、

悟りを外の情報や、どこかや誰かの元へ探す必要性がもうないので、

「すべて忘れちゃって下さい。」


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