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決めることのベクトルの向き
おはようございます
今朝、こんな言葉が降りてきたので
書いてみようと思います。
何かを決めるとき、
その決断は外側を向いているか
自分の内側に向いているか
これまでの私は
どちらかというと
いや、ほとんどが外側に向いていた。
こう決めたら
いいねって言われそう、とか
反対されないだろう、とか
自分以外の人の反応や
評価を期待して
こう思われたい、
こう言われたい、
だからこれに決めよ
迷うことってこういうこと
久しぶりの投稿です。
私は何を決める時も迷わないほうだけど
今、リアルタイムで迷いに迷っている人がいたので
その心理について考えてみました。
迷いの根本は
今の現状とその先の未来に対する
「自分の執着」があると思うのです。
二つのうち、どれかひとつを選ぼうとした。
例えば仕事だったら
せっかくこれまで頑張ってきたのに
今、それを手放すなんてもったいない。
せっかく新しいチャンスが訪れた
無意味な時間を過ごすことって大事
父の四十九日の法要が無事終わって
母と兄と思い出話をしていた。
その時、兄がこんなことを言った。
「なんだかゆったりしてすごくいいね」
この日を迎えるまで
私たちはいろんなことを乗り越えてきた。
それが無事に終わって
みんなの気分がホッとしていて
安堵の空気に包まれている。
兄の日常はきっと
仕事のことや家族のことで
心より思考が優先して
とても忙しいのかもしれない。
いつもきちんと
自分に厳しい時って他人にも厳しくなる
今日、書きたいことって
もうタイトルで結論になっている。
自分に対して厳しくしすぎると
世の中に許せないものがいっぱい出てきて
苦しくなるんだ。
以前の私は
母として
娘として
社会人として
人として
「こうあるべき」って
たくさんのルールを作っていた。
さらに
時間は有限だから
無駄なことに使ってはいけないとか
何かで読んだ
誰かに教えられた
「普通」とか「常識的」とかで
がんじが
マイナスに目を向けるとどうなる?
人は
自分の良いところより
悪いところに目を向けがちだ。
できたことより
できなかったことに落ち込む。
いっぱいできることがあって
いっぱい良いところがあるのに
たったひとつ、うまくいかないと
それが自分のすべてのように思ってしまう。
そんな時、
誰かに褒められても
誰かに喜ばれても
目を閉じて耳を塞いで
自分で遮断してしまっている。
そしてそのことに気づいていない。
自分でつくった狭い
過去のトラウマについて思うこと
最近、長女と「トラウマ」について
話をした。
彼女は中学時代、いじめを経験している。
その恐怖の記憶は今でも
強烈に残っているようだ。
だから
それと似た事象が起きるたびに
「またあの時と同じだ」と
記憶を呼び戻すようにスイッチが入る。
今の職場でも
それが始まった。
みんなが陰で自分のことを悪く言っている、
そんな想像が彼女を苦しめている。
じっくり話を聞いてみると
本当はそんなこ
トラブルから奇跡を体験した
前回の記事で
ポストに投函した書類が
行方不明になってしまった話をした。
その時、問い合わせに対応してくれた人が
追跡の難しい普通郵便を探すのは
なかなか難しくて
これまで見つけられたケースは少ないって言っていた。
その夜に電話で兄と話した時、
自分が書留速達にしなかったことを
後悔している様子だった。
でも
私はこう言った。
「大丈夫!絶対に見つかるから」
もう終わったことを
後悔し
昨日の実験結果を報告
昨日の投稿で
やることを一つだけにする、という
私なりの実験を行なった結果、
胃の働きに少し変化があった。
夕飯を美味しいと感じられた。
母にもこう言ってみた。
「これから先は長いから
息切れしないように
少しずつ進めていくね」
そのほうがいいと言われた。
たったひとつしか
やり切っていないのに
それだけで安堵感に包まれた。
以前の私なら
残った時間も
あれとこれとこなしてしまおうっ
Todoリストがいっぱいの時、どうするか
父の葬儀が終わって
ほっとしている場合ではなかった。
次の「やらなければいけないこと」が
いっぱいある。
予定がいっぱいの日
朝から憂鬱な気分になることは
誰にでもある。
この「予定」が全部なかったら
どんなに気が楽だろうと
思ってしまうこともある。
今の私は、そんな状態だ。
父の初七日が終わった日、
これからやらなければいけないことを
リストにして書き出した。
それだけで
緊張感でい