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不器用な人


昨日、娘たちが
それぞれの職場での出来事について
話してくれた。

それがあまりにも対照的で
でも根っこのところでは
共通している内容だった。

ひとりは
自分のしたことを
全然違うニュアンスで受け取られて
そういうつもりでしたんじゃない、と
言った時に
「反抗」とか「反発」に取られて
いろんな人から注意された。

彼女はただ
誤解を解きたかっただけなのに
全く聞く耳を持ってもらえなかったらしい。


もうひとりは
新しい部署に移動になって
周りの人がとても親切に教えてくれる。

でも
人によってやり方や正しさが違う。


誰かの意見を採用したら
他の誰かのアドバイスを
聞かなかったことになる。

みんないい人なのに
その中にいると疲れる、と言っていた。


この二つの内容と
似た状況を私も体験したことがある。


そういう私を見て
兄はいつも「不器用だね」と言っていた。


その場の空気を悪くしたくないから
自分を抑えたこともある。

勘違いから事態が悪化して
誤解を解きたくて
自分の意見を主張したこともある。

どちらも
私の中にあったのは
「本当はこう思う」という自分の我だ。


表に出しても出さなくても
たぶん、我が強いんだろう。

うまく切り抜けることができない。

要領が悪い、とも言われる。

それは行動的なことじゃなく
「思い」のほうだ。


人との関わり方が上手な人もいる。


それを羨ましいと思って
真似てみた。

同じように振る舞ってみたら
いい感じにはなれたけど
自分じゃない自分を演じているみたいで
とても疲れた。

私は私のままでいたい

好かれる時もあれば
嫌われる時だってある。

それでもいいと今は思う。


自分じゃない誰かになりきって
人と関わっていたら
自分が本当に関わりたいと思う人と
出会えないから。

人から見たら
とても不器用な生き方だとしても
自分の真ん中を大事にしたい。

私は「私」を生きるために
生まれてきたのだから。


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