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私の生きた道

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生まれてきてからこれまでの私の生き方、人生をここに綴って行きたいとおもいます。 嬉しかった事、悲しかった事、悔しかったことなどをランダムに書いて行きたいと思います。 どうぞよろし…
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幼少期の私

幼少期の私

 私は、昭和28年に、長崎県の壱岐の島に生まれました。
 4人兄弟の末っ子として、農家に生まれました。
 麦わら屋根で、高床の家でした。
 そのころの壱岐はまだ開発もそれほど進んではおらず、自然がいっぱいでした。
 道は舗装もされておらず、狭くて凸凹でした。
 住んでいた家は麦わら屋根で、土と木と紙でできていました。
もちろん、カギもありませんでした。
  私が物心ついた頃には、3人の兄たちはすで

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ノートを初めて感じた事

ノートを初めて感じた事

私は初めて、こんな素晴らしいプラットフォームに出会いました。
私は、2005年に、網膜剥離を患い、それから本業以外に、もう一つの収入源を目指して、いろんなビジネスに挑戦して来ましたが、ことごとく失敗して来ました。
と言うより、失敗しすぎて、多重債務まで追ってしまう事になってしまいました。

色々なネットビジネスを探しているうちに、ついに私にも合いそうなプラットフォームに出会う

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60代の思い出

60代の思い出

私の60代、それほどの大きな激変はありませんが、じわじわと自分で自分の首を絞めてしまった、左巻きスパイラルの10年であったように思います。

 60代最初のイベントは、壱岐市主催の還暦式でした。
 文化ホールに集まって、式典に参加するわけです。
 市長さんのしゅくじや、老人会会長さんの祝辞などがあり、神楽が奉納されたりしました。
 式典の後は、中学校単位の同窓会になります。
 壱岐には昔は、中学校

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50代の思い出

50代の思い出

 私の50代、ここでもまたまた激変でした。
 その一つが、眼底出血と網膜剥離による、1ヶ月間の入院と手術。
 そして最大の出来事が、母の死でした。
 あれは、私が51歳の2005年でした。
 特に夜、車に乗せてもらって走っている時に、物の見え方が何かおかしかったのです。
 いつも赤い何かが見えていたのです。
 ある昼下がり、パソコンをやっていたら、突然目の中で何かが起こったのです。 そう、目の血管

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40代の思い出

40代の思い出

 私の40代、それはまたまた激変の時代でした。
 その時はまだ神戸にいましたが、超激変の時代でした。
 特に、阪神淡路大震災にもろに見舞われた事と、壱岐にUターンした事でした。
 1995年1月15日午前5時46分の事でした。
 その日は朝早くに目がさめました。
 突然、ゴーっと言う音がし始め、家がどんどん揺れ始めました。
 その時に、あ、地震だと思い、即座に布団をかぶりました。
 しばらく揺れが

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30代の思い出

30代の思い出

30代、それは私にとって、人生の転機の一つになりましたね。
広島の治療院を卒業した私は、福岡に行って、1人でアパートを借りて、治療院を始めました。
何もかもが初めての生活!
もうそれは、よくわからない日びでした。
今までは誰かが一緒にいました。
でも、本当に1人で暮らさなければならなくなったんです。
しかし、ここは、1年9ヶ月でギブアップしてしまいました。
その後、神戸の肉親を頼ってお

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二十代の思い出

二十代の思い出

盲学校を卒業した私は、広島の治療院に住み込みで役10年間務めました。
二十歳から30代の初め頃までです。
住み込みですから、親方の家族と一緒に、衣食住を共にするわけですね。
自室の部屋はありましたが、そこにはほとんどプライバシーはありませんでしたね。
でも、盲学校時代には、12畳の部屋に8人で寝起きしていましたので、それほどの苦労には感じませんでした。
そこで得られたもの、それは我慢と辛抱で

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高校生時代の思い出

高校生時代の思い出

私の高校生時代、それは激変に次ぐ激変でした。
まず、一年生になると、将来のお仕事になる、はり、きゅう、マッサージのべんきょうが始まりました。
まず、基礎となる、解剖学をみっちり叩き込まれます。
授業は毎日ありました。
なので、毎日教科書を読んで、頭に叩き込みました。
他にも、あんまとマッサージの実技がありました。

私の高校生時代の一番大きな出来事、それは、父の死でした。

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中学生時代の思い出

中学生時代の思い出

私の中学生時代、それはぶっちゃけ難しい時代でした。
その一つの大きな原因は、父の入院でした。
父が倒れたのは、私が小学5年生の時でした。
手術を何回も繰り返した父は、働けなくなっていました。
春、夏、冬の休みに家に帰っても、ずっと寝たきりでしたので、相談にもなりませんでした。
寮の方では、なんとか頑張って勉強もしていました。
120人ぐらいの生徒もいましたし、生徒の中の自

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小学校時代の思い出

私が小学校に入ったのは、昭和35年の4月でした。
学校と言っても、家から歩いて行けるわけではありません。
ここは島ですから、船に乗り、更には、汽車に乗って行かなければならないところでした。
盲学校は県に一つしか無い学校でした。
なので、6歳から親元を離れて暮らさなければならないところでした。
しかも、壱岐の島は、長崎県です。
福岡まで船で行き、更に博多から汽車に乗って行か

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小学校に入るまでの思い出

小学校に入るまでの思い出

私は、昭和28年の4月29日に、長崎県の壱岐郡で生まれました。
男ばかり4人兄弟の末っ子です。
生まれた時は、目が見えなかったんです。
そう、くろまなこに白い幕がかかっていたそうです。
生まれつき、水晶体が濁っていたんですね。
ですが、大学病院に行って、手術をしてもらったので、光が入るようになり、なんとか見えるようになりました。
ですが、レンズがなくなったので、物がはっきりとは見えなくなってしまっ

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ノート、始めます

ノート、始めます

はじめまして。
yugenki1953と申します。
長崎県の離島に住む、70歳の視覚障害マッサージ師です。
これから、70年間の思い出などを、ランダムに書いて行こうと思います。
どうぞよろしくお願いします。

自己紹介

自己紹介

ここで、私の自己紹介をさせていただきます。

私は、長崎県の壱岐市で、マッサージの治療院をやっております。
yugenki1953 と申します。

私は、1953年4月29日に、ここ、壱岐の島で生まれました。
男ばかり4人兄弟の末っ子として生まれました。
生まれつきの視覚障害でしたので、小さい時から、盲学校に行って、はりきゅうあんまを習う事を、ずっと言われ続けて来ました。

6歳から

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