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日本とつながる(全100話)

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2020年7月の記事一覧

日本とのつながり81〜火山〜

ハワイと言えばホノルルのあるオアフ島が有名であるが、ハワイ諸島最大のハワイ島の火山も知られており、世界遺産となっている。

この島の南東部に位置するのが有名なキラウエア山で、世界で最も活発な火山の一つとされる。
ハワイの火山から噴出する溶岩は粘性が低く、漫画でありそうな溶岩が火口から飛び出す光景も見られる。
火口から溶岩が流出する光景は美しくも見える。
また、中南部に位置するマウナ・ロア山は「長い

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日本とのつながり80〜英雄〜

1800年〜1820年の世界を見ていきたい。
日本には1804年にロシア使節レザノフが長崎に来航し、日本に通商を要求するが失敗した。
1808年にはイギリス軍艦フェートン号が長崎湾内に侵入し、薪水・食料を強奪して退去した事件が起きている。
中国の清王朝ではイギリスのアヘンの密輸によって中毒者の蔓延が増加してきている。
イギリスは中国の綿織物・絹織物に対抗できず、赤字が続いていた対中国貿易をインド産

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日本とのつながり78〜滝〜

栃木県の日光から48曲がりのいろは坂を上ると、中禅寺湖が広がる。
この湖は日本で最も高い標高1250mに位置する湖として、男体山の麓に見られる堰止湖である。

ここに、日本三代瀑布の一つとされる華厳の滝がある。
この滝は97mの落差を誇る。
滝壺まで降りることができ、滝の全貌を拝むことができる。
周辺は中禅寺湖を中心に風光明媚な景観が見られ、水面に光が反射して美しい。
湖を中心に落ち着いた雰囲気が

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日本とのつながり77〜革命〜

18世紀後半に入ると、世界史は大きな変動期を迎える。
人間の理性や科学的思想の産物である啓蒙思想が封建制度への批判へと結びついた。

平たく言えば、国王の支配に民衆が反乱を起こす。
そして、1776年にはアメリカがイギリスから独立を宣言した。
1789年にはフランス人権宣言が制定された。
1793年にはフランス国王ルイ16世が処刑されている。

これらは、君主による圧政に民衆が反抗し、個人の自由と

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日本とのつながり76〜山〜

カナディアン・ロッキーは約2200kmにわたる山岳地帯であり、氷河の浸食を受けた峻険な山々や美しい氷河湖が見られる。
思わず息を呑む大パノラマやコロンビア大氷原など雄大な氷河地形が見られることが特徴である。
シャトー・レイク・ルイーズなどの魅力的なホテルや鉄道も整備されている。

一方、日本の長野県と富山県をまたぐ立山黒部アルペンルートはバスやトロリーバスなどを乗り継ぎながら、標高2500m級の眺

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日本とのつながり75〜近代化の芽〜

18世紀前半に入ると、ヨーロッパ大陸では王国同士の衝突が絶え間なく起こった。
特に、フランスがヨーロッパ各国と戦争を度々引き起こした。
そして、インドやアメリカ大陸ではイギリスと支配権をめぐって争った。

ロシアやプロイセン(現ドイツ)も着実に力をつけてきている。
このヨーロッパの勢いに大版図を誇ったオスマン帝国(現トルコ)は徐々に押し返されていくことになる。

中国でも清王朝が絶頂期を迎え、シベ

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日本とのつながり74〜道のつながり〜

シルク・ロードは紀元前1世紀から2世紀頃に形成されたローマとアジア各地を結ぶ壮大な道である。
中国からは絹が運ばれ、西方からはガラスや宝石、楽器などが運ばれた。
絹の製法は秘密にされたため、絹は非常に重宝されることになった。

物資の運搬にはソグド人が重要な役割を果たし、砂漠の水場にオアシス都市を築いた。
ソグド人はイラン系の農耕民で、中央アジアにおいて商業を得意とした民族である。
また、シルク・

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日本とのつながり73〜覇権〜

17世紀後半は世界の覇権がオランダからイギリスに移行しつつある。
1664年には新大陸のオランダ植民地であるニューアムステルダムをイギリスがニューヨークに改名した。
そんなイギリスの前に現れたライバルがフランスである。
18世紀に両者は世界中で支配権をめぐって争うことになる。

一方、ロシア帝国も西欧の技術・制度を導入し、東方への版図拡大を行った。

そして、中国では清王朝が繁栄しつつある。
清王

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日本とのつながり72〜ストーンヘンジ 〜

イギリス南部に巨石でつくられた環状列石が見られる。
この巨石遺跡は紀元前3100年から前1100年頃に築かれたとされ、巨石が直径30mほどの円を描いている。
この場所では、太陽崇拝の祭祀や天文観測が行われたと考えられている。
使用されている石はこの場所から400kmも離れた場所で産出されるものもあり、その運搬方法は分かっていない。

実は日本にもストーンサークルが見られる。
秋田県北部に大湯環状列

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日本とのつながり71〜猛々しさ〜

16世紀後半、世界各地で国家としての強さが発揮されてくる。
イギリスではピューリタン革命を経て、市民による政治へと向かっていくことになる。
イギリスは世界的に見ても、近代政治への移行が早かった。
そして、インドへの進出も進めて行った。
フランスではルイ14世が絶対王政を敷き、ヴェルサイユ宮殿が建設された。
フランスは対外的にも戦争を繰り返した。
現在のドイツを中心とするエリアは三十年戦争によって荒

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日本とのつながり70〜美しい田んぼ〜

フィリピンのルソン島北部の棚田群は世界遺産となっている。
斜面に対して段状に連なる棚田群は世界最大規模とされており、棚田の壁の総延長は地球半周分にもなる。
水田の狭さや急勾配のため、機械が入ることができないため現在でもほとんどの作業は手作業で行われる。
農業技術は口承で伝えられてきたが、近年は若者の都会への出稼ぎなどで後継者不足に悩まされている。
その規模の大きさには圧倒されることだろう。

日本

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日本とのつながり69〜まとまり〜

16世紀後半になってくると、世界各地で国家の存在感が現れてくる。
というのも、力強いリーダーシップを発揮する人物が登場するからだ。
スペインのフェリペ2世は1571年にマニラを占領している。
フィリピンという国名は彼の名前に由来する。
そのスペインの無敵艦隊を1588年に撃破したのがエリザベス1世率いるイングランド王国である。
しかし、この後、世界の覇権を握っていくことになるのは、1581年にスペ

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日本とのつながり68〜歴史と芸術〜

ロシアはかつてモンゴル人の支配下にあった。
1480年にはその支配を脱却した。
クレムリンはかつて戦略会議が行われた場所であり、木造の城塞であった。
自立して以降は城塞をより強固にするため、レンガの壁、塔、城門などを建設し、現在見られる景観となっていった。
ロシア国民の誇りとなっている場所である。

東には「赤の広場」がある。
「赤」とは「美しい」を意味する。
この広場は多くの人々で賑わった。

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日本とのつながり67〜帝国の圧力〜

16世紀前半を見ていこう。
スペイン・ポルトガルの大航海時代が全盛期を迎え、ポルトガルはインドに拠点を作り、スペインは新大陸の支配を進めた。
スペインはメキシコのアステカ王国と、ペルーを中心とするインカ帝国を滅ぼした。
この地から産出された銀が世界中に流入していくこととなる。
さらに、1517年からルターがローマ教会を批判し、宗教改革が始まった。
ここから、カトリック教会よりも聖書を重んじるプロテ

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