日本とのつながり80〜英雄〜
1800年〜1820年の世界を見ていきたい。
日本には1804年にロシア使節レザノフが長崎に来航し、日本に通商を要求するが失敗した。
1808年にはイギリス軍艦フェートン号が長崎湾内に侵入し、薪水・食料を強奪して退去した事件が起きている。
中国の清王朝ではイギリスのアヘンの密輸によって中毒者の蔓延が増加してきている。
イギリスは中国の綿織物・絹織物に対抗できず、赤字が続いていた対中国貿易をインド産アヘンを組み入れた三角貿易によって打破しようとしていた。
中東ではロシアの南下圧が強くなり、オスマン帝国(現トルコ)やカージャール朝(現イラン)から領土の奪取を進めている。
1812年にはオスマン帝国からルーマニア北部を、1813年にカージャール朝からカフカス地方を獲得している。
そして、ヨーロッパではナポレオンが暴威を振るっている。
彼の勢力拡大には革命思想の伝達の側面もあったが、1804年には皇帝に即位している。
そして、1805年にはアウステルリッツの戦いで神聖ローマ帝国とロシアの軍隊を破り、フランスはヨーロッパに大きな支配権を確立していくことになる。
ナポレオンの侵攻により1806年には、962年から始まる神聖ローマ帝国(現ドイツ・オーストリア)が滅亡した。
ナポレオンは1815年にワーテルローの戦いで敗れ、セントヘレナ島に配流されたことで命運が尽きることとなる。
イギリスでは産業革命が進展し交通革命にまで結びつきつつある。
1814年にはスティーブンソンが実用的な蒸気機関車を製作した。
そして、大英帝国は世界の覇権を確実に手中にしつつあった。
参考文献:世界史用語集(山川出版社)
参考文献:日本史用語集(山川出版社)
参考サイト:世界史の窓
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