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記事一覧
「大学の授業で月30万円」の記事が今さら炎上しているワケ
東洋経済オンラインの2015年の記事がなぜか燃えている。「「仕事が楽しい」の本当の意味を教えよう」と題された記事であり、楽しさの正体を探るための思考実験として「月給30万円もらえるとして、定年まで大学に通いたいと思えるか」という問いが発される。記事の筆者は「そんなん楽しくないよね、まだ仕事する方がいいでしょ」というスタンスを取っているが、Twitter上では「30万ももらえて大学とか天国やん」とい
もっとみる品川駅ディストピア広告の撤回・謝罪に見る“コンサル系企業の闇”
昨日、品川駅のディストピア広告について書いた。
タイトルにもあるように、あの広告は施策として間違いではないという内容のものだ。趣旨としては、「どうせターゲットは経営層なんだから、一介の労働者の声なんて気にしないでしょ、影響力を誇示できればいいんだから成功でしょ」というものである。要するに、私はあの広告を一種の「炎上商法」として捉えていた。
ところが、これは私の認識違いであったらしい。私は記事内
品川駅の広告「今日の仕事は、楽しみですか」は、施策として“失敗”していない
昨日、品川駅のコンコースが「ディストピア化」したことが話題を集めている。コンコース全面が、「今日の仕事は、楽しみですか」という謎の広告によってジャックされたのだ。憂鬱な気分で仕事に向かう人々に鞭打つようなキャッチコピーと、人々を洗脳するかのような執拗な表示に対し、SNSを中心に大きな批判が寄せられている。
広告を出したのはNewsPicksと、AlphaDriveという人材開発系の企業らしい。も
あらゆるものが“つながる”世界で――「波物語」の炎上騒動から
先月愛知で開催されたHIPHOPイベント「波物語」の乱痴気騒ぎが波紋を呼んでいる。コロナ禍において多くのイベントが自粛を迫られるなか、思わずギョッとするほどの密集っぷりと騒ぎっぷりがSNSで拡散されたわけである。が、私はいまさら運営の不備やらについて言及するつもりはない。考えてみたいのは、アフターコロナのヤンキー文化についてである。
HIPHOPの根本態度は反抗であり、その基本的手法はパロディー
“森喜朗氏の「女性蔑視発言」はフェイクニュースである”という記事の見出しにぼくが爆笑した理由
世界に誇れる日本の国技として、権力者への忖度を原動力とした「アクロバティック擁護」がある。完全に身動きがとれなくなったはずの体勢から、針の穴ほどの逃げ道を見つけ出し、それをどうにかこじ開けようとする涙ぐましい姿には、我が国の美点が凝縮されているかのようだ。
あらゆる採点競技がそうであるように、アクロバティック擁護もその「難度」によって点数が決まる。「誰がどう見てもアカンやろ」という状況から、「ま
ヤンキーはどこへ消えた(その2)
※別アカウントで2020年8月16日に書いた記事の再掲です。
ヤンキーの話の続き。前回の記事では、学校における生徒間の権力構造について、SNSの普及以前は「暴力」による裏付けがなされ、普及以後は「外部世界における影響力」によって裏付けられる、ということを書いた。
SNSの普及以後、教室の支配権は「リア充」へと移り、現在では「陽キャ」に移行している。「リア充/非リア」と、「陽キャ/陰キャ」はほと
ヤンキーはどこへ消えた
※別アカウントで2020年8月13日に書いた記事の再掲です。
「マンガBANG」のアプリで『ナニワトモアレ』という漫画を無料で読めるので、最近毎日読んでいる。昭和の終わりから平成の初めにかけて一つの社会問題ともなった、「環状族」と呼ばれる走り屋たちの物語である。
グループを組み、200km近い速度で一般車の間をすり抜け暴走する、迷惑極まりない集団である。数多くの「チーム」が存在し、暴走族上がり
スマホさえ選べれば生きていける
文春オンラインの記事で、採点上の都合から記述問題を嫌う教員への批判を書いた。その趣旨は、現実において「用意されている選択肢から決める」という場面など「スマホプランの選択」程度しかないのだから、記述問題によって「ゼロから振り絞る力」を養っておくべきだ、というものである。
そのなかで私は、「学習指導要領に掲げられる〈生きる力〉というものが〈スマホプランを選ぶ能力〉を意味するのなら、もはや何も言うまい
cakesの「ホームレス取材記事」炎上について
消費社会においてはあらゆるものが価値化されるのであって、人間の生も「消費される価値」の最たるものとなる。
cakesに取り上げられたホームレス取材記事が炎上している。もともとnote上でホームレスへの取材や支援活動を行っていたライターの記事を、cakes編集部が「クリエイターコンテスト」における優秀作品として取り上げ、cakesのメディア上でも連載を始めた形である。
ライターの活動に対する批判