ヤンキーはどこへ消えた(その2)

※別アカウントで2020年8月16日に書いた記事の再掲です。

ヤンキーの話の続き。前回の記事では、学校における生徒間の権力構造について、SNSの普及以前は「暴力」による裏付けがなされ、普及以後は「外部世界における影響力」によって裏付けられる、ということを書いた。

SNSの普及以後、教室の支配権は「リア充」へと移り、現在では「陽キャ」に移行している。「リア充/非リア」と、「陽キャ/陰キャ」はほとんど同じことを言っているので、この二者間の移行は単に字面だけのもののようにも思える。

けれども今回は、あえてこの二つに線引きをしたいと思う。ぼくがポイントだと考えるのは、SNSの形態の変化である。「リア充=静止画的」「陽キャ=動画的」なものと捉えることで、両者の微妙な差異を示してみたい。

mixiやFacebookなど、SNS黎明期に流行したフォーマットは、日記のようなテキストを軸に、必要に応じて画像をアップロードできるような形になっている。投稿のタイプとしては、「テキストを長々続ける人」と、「画像をメインにアップする人」という形で、二つに分類することができるだろう。

言うまでもなく、前者が「非リア」的であり、後者が「リア充」的である。現実の生活が充実しているなら、長文で自分の主張や日々の思いを綴る必要もなく、「楽しかった思い出」「心を動かされたもの」を画像としてシェアしていればいいのである。「リア充/非リア」の分類は、鮮やかなイメージに彩られたアカウントと、読む気を起こさない大量の文字列を並べたアカウント、両者の差異に起因するものではないだろうか。

instagramやtiktokなど、動画コンテンツの台頭とともに、この区分は観点を変えていくことになる。動画の主体は動きのある「人間」となり、いかに見る者を動きで楽しませることができるか、という「サービス精神の有無」が影響力に直結する。「陽キャ」とはすなわち、「他者を楽しませようという精神を持ち、その技術について他者から認められた者」を指す言葉であると考えられる。

もちろん、静止画によって見る者が憧れるような世界観を提示できる人間も、強い影響力を保ったままだ。しかしキラキラした写真をSNSにアップする人種が、必ずしも「陽キャ」であるとは限らないだろう。「陽キャ」は動画コンテンツの台頭とともに出現した、新しい人間のカテゴリーである。

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