スマホさえ選べれば生きていける

文春オンラインの記事で、採点上の都合から記述問題を嫌う教員への批判を書いた。その趣旨は、現実において「用意されている選択肢から決める」という場面など「スマホプランの選択」程度しかないのだから、記述問題によって「ゼロから振り絞る力」を養っておくべきだ、というものである。

そのなかで私は、「学習指導要領に掲げられる〈生きる力〉というものが〈スマホプランを選ぶ能力〉を意味するのなら、もはや何も言うまい」と皮肉めいた表現をした。しかしこれを書きながら、「生きる力=スマホプランを選ぶ能力」という構図が、不思議と現実に当てはまっているようにも思うのでもあった。

スマホプランを選ぶ際には、自身がスマートフォンを使用する頻度を分析・定量化し(自身のスマホ利用状況をギガバイトに変換)、それと対照したときにもっとも費用対効果に優れるプランを見極める(2GBの余裕に1,000円の価値はあるか云々)、という過程を経ることになる。そこで必要とされる能力は「行動の定量的分析」と「計量的比較」の力である。現代を生きていくにあたって、この二つの能力は「創造性」などよりよほど、重要度の高いものなのではないか、と思えてしまうのである。

私たちは日々無数の選択を行っているのであり、それらは一時的な満足に関わるものから人生設計に関わるものまでさまざまである。食材の選択、スマホプランの選択、住宅ローンや保険商品の選択……最適な選択肢を導き出すためには、自身の行動を定量的に分析し、異なる商品を計量的に比較する視点が不可欠だ。

合理的選択は日々の暮らしを安定させるばかりではない。運用の利回りとライフプランを照らし合わせながら、投資信託のパッケージングを適切に選ぶことは、「人生のあり方」そのものを左右する。
あるいは、趣味・関心領域についても、適切なサブスクリプションサービスを選択することで潤いがもたらされるだろう。

さらに、合理的選択はプライベートを充実させるばかりではない。業務において必要となるアプリケーションはもちろん、システム構築に必要となるプラットフォームやインフラさえ、もはや独自に開発するものではなく、GoogleやAmazon、Microsoftなどが提供するクラウドサービスから「選択」する時代である。自社の業務を定量的に分析し、サービスプランを計量的に比較することにより、著しい業務効率化が達成されることになる。

人間の生は、いわば諸々の「プラン」によって成り立つようになった。
能動的にアクションを起こさずとも、事業者側から「リスク管理」や「効用の最適化」を実現するさまざまな「プラン」が提供されるのであり、要するに適切にプランを選択することさえできれば、生きるうえで困ることなどないのである。むしろ、「定量的分析」「計量的比較」の能力は、「最適な人生」を歩むうえでもっとも重要な力であると言ってもいい。

しかし、適切な選択の積み重ねによって実現される「最適な人生」とは一体何なのだろう。そもそも人生は、「適切さ」という基準から測定しうるものなのだろうか。
「適切さ」とは要するに、「釣り合い」である。コストに釣り合ったリターンがあるか。そのような観点から、コスパに優れるプランを選択していくことで、最適な人生が実現する。最適な人生とはすなわち、「コスパのいい人生」のことである。

「コスパ」という観点は、私たち自身の生を「価値との釣り合い」から分析する視点を形成する。学歴や年収をはじめとする個人の特性を「スペック」として表現する視点は、「2ちゃんねる」に特有のものではもはやない。それは人間と人間との関係さえ、「釣り合い」という観点から判定する価値観を形成するだろう。

「釣り合い」という観点から評価しえないものの最たる例が、恋愛関係と育児である。「結婚はコスパが悪い」という論調は掲示板やSNS等いたるところで見受けられるが、自分自身への効用を絶対的な価値基準とする限り、恋愛も育児も非合理的なものとならざるをえない。当然のことであるが、プランを選択するようにパートナーや子どもを選ぶことはできないのである。

「プラン」という概念は、「将来」を「現在の延長」として捉えさせる。「今」をベースとした緩やかな成長曲線。現在のあり方を維持するうえで、「リスク」や「イレギュラー」な要素は排除されることになる。

スマホプランを選ぶ能力は、まぎれもなく「生きる力」のひとつである。とはいえその本質は、自分自身の現状を繰り延べていくためのリスク管理なのであり、そこに介入する「変化の前兆」を異物として取り除く性質をもっている。

「生きる力」の一要素としての「他人とともに協調」する能力は、自身に気づきと変化を与える他者に対して開かれながら、答えのない中で共存の道を探っていくことではなかったか。用意されている選択肢を選んでいるだけでは、その道は閉ざされたままである。

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