承認欲求って、面倒くさい
スキとかフォロワーとかどうでも良いなんて思いつつ、実際そう簡単には意識をコントロールできない。
表示されてしまう以上、気にしたくなくても気になってしまう。
「リアクションを気にせず文章を書きたいから、紙のノートに書こう」なんて割り切れるわけもなく。
誰かが見てくれる安心感、誰かに見てほしい、あわよくばたくさんのリアクションが集まってほしいという願望、それらに依存しているからこうして懲りずにnoteで文章を書いている。
ありがたいことにそれなりにフォロワーも増え、一定以上のスキがつくようになっているけれど、比例するように承認欲求も高まっているような。
・もっと多くの人に読んでほしい
・もっと多くの人に自分を知ってほしい
・もっと多くの人に共感されたい
あぁ、面倒くさい。
切り捨ててしまいたいけれど、「承認欲求」でああだこうだ言えるのも、「案外幸せなことなのかな」なんて思ったりした。
マズローの五段階欲求によれば、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求の次に「承認欲求」があるらしい。その次は、自己実現欲求。
つまり、ある程度生理的、安全、社会的欲求が満たされているからこそ、承認欲求に対して欲求不満になれている、ってことなのだろうか。
そう考えると、たいていの欲は満たされている気もする。
僕らは求め過ぎなんだろうか。
しかし、このnoteはビジネス目的ではなく「僕が書きたいと思った時に、書きたいことを、書きたいように書く」と決めてやっています。
なので、1週間くらい更新しなくても何の問題もなく、誰にも怒られないし、フォロワー数が減っても何かを思ったりはしません。
たまたま見てくれる人がいれば嬉しいですし、それで僕の承認欲求は満たされます。
モチベーションが承認欲求だけだときつそう
今年の頭にこんな文章を書いているけれど、僕は今、たまたま見てくれる人がいる程度では、承認欲求が満たされていない。
あぁ、承認欲求って面倒くさい。
惰性で文章を書き続けていた時期に、自分に突きつけた言葉をもう一度突きつけたい。
とにかく、カッコつけようとするとダメなんだよな。
カッコつけるなよ、自分。
たまには、こういう日記のような文章を書いておくと、自分の心境の変化を辿ることができて面白いんだよな。
しばらく経ってまた同じような文章を書くときも、「やっぱり承認欲求が〜」とか言ってそうだけど。
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