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「普通」じゃ満足できないボクらは

「普通」という言葉に、どれほど振り回されているのだろうか。

「普通で良い」とか「普通じゃ嫌だ」とか、何でもかんでも「普通」が基準になっている。

そもそも、そういう基準になるものが「普通」なんだろうけれど。

「普通でいたくない」という欲求が行動のモチベーションになったり、何かのきっかけにもなってしまうくらい。

「普通」に満足できることなんて、あるのだろうか。

普通でない何かを手に入れたとしても、一度手に入れてしまったら、やがてそれは「普通」になってしまう。

そうしてまた普通じゃない何かを求めてしまうなら、“普通じゃなさ“を追求する行為は死ぬまで終わらない。それが、人生そのものにさえなってしまう。


僕らは、重要なことに気づかなければならない。

いや、きっと気づいてはいるはずだけれど、定期的に認識しなければならない。

「普通でいたくない」という感覚を持つこと自体が、そもそも普通だということに。

他人の人生をリアルタイムで覗き見できるこの時代を生きるということは、常に、自分自身を「普通か普通じゃないか」という天秤にかけているようなものだ。

どっちが良いか悪いかなんて人ぞれぞれなのは、言うまでもない。

ただ、「何か普通だな」と自分自身にも自分以外に対しても感じてしまうのが、時々どうしようもないほど虚しくなる。

「普通かどうか」なんて、本来どうでもいい。

「楽しいかどうか」とか「好きかどうか」とか、もっと、耳を傾けるべき心の声、大切にするべき直感があるはずだ。

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「普通」という言葉は、あまりにも便利だ。

自分の気持ちや状態をうまく言語化できない時、「普通」という言葉が全てを包み込んでくれる。

便利な言葉に頼り過ぎた結果、ボクらはそれが何か分からなくなった。

「普通ってなんだろう」
「普通“で”良い」
「普通は嫌だ」

便利な言葉に頼り過ぎた結果、その言葉に苦しめられることになってしまった。

普通じゃ満足できないボクらは、結局明日も明後日も普通に過ごすんだろうな。

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