◆東京④◆トーハクで中尊寺金色堂満喫&未参拝の神社仏閣
トーハクで『建立900年「中尊寺金色堂」』開催!おお~行きたいが行くタイミングが合わなかった中尊寺が東京に来るので行った。そしてトーハクのこれ以外の出し物は京都と奈良の古都中心だった。同時に醍醐寺の宝物が特別展示されるので、この2つを中心に未参拝の東京神社仏閣巡り!!
滋賀の湖東で雪により、新幹線が30分押しだったので、行けなかったところがある。まあ~いいか。
▼ルート
▽2024年01月26日(金):
#新幹線 #京都駅 から #東京駅 の風景
#元三島神社 :東京都台東区根岸1丁目7−11
大山祇神社から分霊し、一度移転しているが地元の力で元に戻したから「元三島神社」はラブホなどが集中する近くにあり「三つの三島」の1社。
正岡子規のゆかりの地でもある。
蒙古襲来の時に愛媛の武将・河野通有(かわのみちあり)が、四国にある本宮・大山祇神社で必勝祈願をして大活躍したとか
帰国したらお告げがあり、上野山中にあった河野氏の館に分霊を鎮座したことに始まり
最初は「三島神社」として存在したが、諸事情で浅草のほうへ移転
地元の人たちが呼び戻したときに「元三島神社」としたようだ
健康長寿の御利益を持つ「下谷七福神の寿老神」がいる
正岡子規ゆかりの地でもあるので、境内には句碑も建てられている
この神社は三社に分かれてしまったようで、入谷駅周辺と田原町駅周辺に「三嶋神社」がある
この三社で本来の鎮座地に近いのがここである
YAZAWAファン必見の「永吉守」があるとか
詳細は次のNOTE参照。
元三島神社→英信寺「 #旧陸奥宗光邸 」
元三島神社から英信寺に行くために北上するが大通りで信号は少なく小道を進むと、今にも壊れそうな廃墟まっしぐらの建物があったのだが、明治の頃に、迎賓館的な役割で使われていた建物「旧陸奥宗光邸」だった。当時、外務大臣を担当していた陸奥宗光という方が、三井家から寄贈されて、家族で三年ほど住んでいたと言われているようです。ほお~明日は三井家所縁の神社仏閣行きますけど、何かの御縁なのかな??
詳細は詳しそうな人のサイトをどうぞ!
#英信寺 :東京都台東区下谷2丁目5−14
街中にある英信寺の三面大黒天は、大黒天に毘沙門天と弁財天が加わった仏像で、豊臣秀吉が好きですよね。
英信は、丹波亀山藩主・松平康信(やすのぶ)の子の名前
三河・松平家を祖とする3つの松平家の菩提寺
1596年〜1615、開山
下谷七福神のひとつで、三面大黒天が安置されている
三面大黒天は大黒天を正面に、左に毘沙門天で、右に弁財天が刻まれたレア仏像
三面大黒天は空海の作とも
1656年、松平康信の三男・松平英信が23歳で亡くなったのを機に、英信の姉・常子が英信の像を奉納
それまで「紫雲院」と称していたものを「英信寺」に改称する
1772年〜1781年、本堂建立
境内にある大灯籠2基は、東叡山寛永寺の通称「お化灯籠」を戦後に移築したもの(写真無し)
8代将軍・徳川吉宗が没した際、丹波亀山藩・形原松平家、杵築藩・能見松平家が奉納したもの
詳細は次のNOTE参照。
#法昌寺 :東京都台東区下谷2丁目10−6
1648年、下谷御切手町付近に創建した
元は「駿河国岡之宮(現・静岡県沼津市岡宮)の光長寺」の末寺だったとか(『新編武蔵風土記稿』より)
光長寺は、千葉県茂原市・鷲山寺、京都・本能寺、兵庫県尼崎・本興寺とともに法華宗本門流の四大本山のひとつ
1737年、現在地に移転
「下谷七福神」の毘沙門天を安置する
日本フライ級チャンピオンのプロボクサー、俳優、コメディアンのたこ八郎(本名:太古八郎)氏の菩提寺
ノーガードで相手のパンチをもらい続け、相手が打ち疲れた瞬間に反撃するというスタイルで、『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈のモデルとも
たこ八郎氏は事故死しており、宮城県仙台市に眠るのだが、遠いやんと行ったかどうかはわかりかねるが、喜劇俳優・由利徹、漫画家・赤塚不二夫、映画監督・山本晋也らを発起人に「たこ地蔵」が奉納された
詳細は次のNOTE参照。
#小野照崎神社 #東京都台東区下谷2丁目13−14
仕事がゲットできると評判になったのは渥美清氏が寅さん役GETしたことからなんだそうな。そんな神社は小野篁と菅原道真という実在した人物で京都でもパワーのある神様だった。
昼は朝廷、夜はあの世で働き、平安時代の歌人・小野篁(おののたかむら)と菅原道真を祀る
学問や芸能にご利益があると言われ、無名時代の渥美清氏が禁煙と引き換えに役がもらえるよう願掛けし、寅さんの大役を見事つかんだとか
社殿左には「下谷坂本の富士塚」があり江戸時代に実際の富士山から運んだ溶岩によって造られている
毎年6月30日と7月1日に山開きが行われ「登山」ができて、実際の富士登山と同じ御利益があるそうな
852年、小野篁が御東下の際に住まわれた上野照崎の地に創建
寛永寺の建立で現在の地に遷された
江戸後期には、 学問の神様である菅原道真も回向院より配神として遷座される
境内にある末社を含めると、 15柱もの神様が祀られている
詳細は次のNOTE参照。
#真源寺 #入谷鬼子母神 :東京都台東区下谷1丁目12−16
1659年、静岡県沼津の光長寺の僧が開山
1828年、『新編武蔵風土記稿』に「鬼子母神堂。中老日法の作。日蓮開眼の像也。本寺より伝来と云。世に入谷鬼子母神と称す」と記されている
入谷鬼子母神の名称で有名
鬼子母神は鬼神・般闍迦の妻で、元々子供を奪い取って食べてしまう悪神だった
釈迦は、悪神鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させ改心させた
以後、安産・子育ての守護神として信仰されている
鬼子母神は元々は他の天と同じく「インド仏教」の女神
入谷鬼子母神では、子育ての善神になった由来からツノのない「おに」の文字を使っている
詳細は次のNOTE参照。
昼食 → 東京国立博物館
新幹線が雪の影響で30分遅れたので、ガストで食べて、足早に東京国立博物館へ!トーハク東側は寺が多いのを発見。今度、拝観できるなら拝観してみよう。
#東京国立博物館 :東京都台東区上野公園13−9
コロナ禍前には3回来ていますね。東京来るときは、トーハクで仏像展な感じがする。笑
『建立900年「中尊寺金色堂」』目的でしたが、平常展の仏像コーナーは奈良と京都の仏像と神像満載でした。また、京都市北部の紅葉の穴場スポットであり芸術村を作った『本阿弥光悦の大宇宙』展もされていた。
お目当ての仏像の詳細は次のNOTE参照。
仏像以外の写真を記録します!
警備の方に作品について聞くと、写真OKとのこと。畳の上も上がって良いとのこと。妻が好きそうなので写真を撮ろうとしたが、先に進んでいて居なかった・・・。
2階では中尊寺ゆかりの宝物などの模造があった。こちらも写真OK。最近、写真OKの展示会多くなった。良い思い出になるので有難い。
さて、ここからは刀剣などのゾーンですね。やはりトーハクは広いし、展示物が多いな。一部、写真を載せます。
→法隆寺の宝物
#上野動物園 :東京都台東区上野公園9−83
トーハク時間かけすぎたので次回!!
#アパホテル 〈上野駅北〉:東京都台東区上野7丁目12−11
#土佐清水ワールド上野店 :東京都台東区上野7丁目2−4 FUNDES上野 2F
高知の旅行以降、藁焼きのカツオ好きになってしまう・・
▽2024年01月27日(土)①台東区&墨田区
#浅草寺
久しぶりだな~。通っただけだけど、写真の行列が出来ていた・・。提灯の下が注目ですよ!!!
私のNOTEは次の通り。
浅草寺から待乳山聖天へ
#待乳山 #本龍院 ( #待乳山聖天 ):東京都台東区浅草7丁目4−1
浅草寺北側を抜けて今戸神社の間に本龍院などの寺がある。浅草寺の公式HPでも紹介しているのが面白い。って、浅草寺の支院のひとつなんだ。なるほど鬼門に置いたなと思う。
詳細は次のNOTE参照。
待乳山聖天から今戸神社へ「 #慶養寺 / #本龍寺 」
途中にあったが拝観はできなさそうなので、境内のみお邪魔した。
#今戸神社 :京都台東区今戸1丁目5−22
江戸時代に今戸焼の招き猫が大流行したことから、招き猫発祥の地になったとかは置いておいて!?神の使いなのか白猫が住んでいる。ドラマのロケ地で、縁結びの神社でもあるようで、観光地ではないが参拝者は多い。
隅田川や隅田公園にもほど近い場所に鎮座
日本三大八幡宮のひとつ、京都・石清水八幡宮(私のNOTE)を勧請して11世紀に創建された古社
今戸焼の発祥の地
招き猫発祥の地
→発祥は浅草神社説が高い祭神は応神天皇、イザナギ、イザナミ、福禄寿と神社ワンダーランド感がある
1063年、源頼義と義家の親子が京都・石清水八幡宮をこの地に招いたことが始まり
当時は「今戸八幡」という名前で親しまれてきました
1081年、謀反をおこした清原武衡・家衡討伐のため、源義家が今之津を通過するあたり戦勝を祈願し、お礼参りで、源義家は社殿を修復
戦乱兵火に遭うが、その都度、再建される
徳川家光は、今戸八幡の再建ののために官材を下賜し、舟越伊豫守と八木但馬守に命じて再建させた
1937年、白山神社と合祀し、「今戸神社」となったそうな
関東大震災や太平洋戦争によって壊滅的な被害を受けた
1971年、現在の社殿を再建
祭神はイザナギ💛イザナミで、住所は「1-5-22」から「いいご夫婦」とか!?
2019年、映画『トラさん〜僕が猫になったワケ〜』の主役がヒット祈願に参拝したようですね
詳細は次のNOTE参照。
今戸神社から三囲神社へ!
橋を渡って公園を川沿いに移動すると裏参道へ!入れない・・・表参道に移動!!
#三囲神社 :東京都墨田区向島2丁目5−17
三井家の守護神!京都でも謎の三柱鳥居が、ここにあるのは知っていた!やはり三井財閥の邸宅にあったようで、この鳥居を見ると秦氏なのか?と期待が膨らむ人は多いのかな。ひとまず、この「三柱鳥居は京都から」と明記してあった!
三囲神社の創建年代は不詳
もともとは田中稲荷と称していた
祭神は稲荷さんなのでウカノミタマ
江戸時代に、俳人・宝井其角が雨乞いの句を詠んだことで世に有名となり、江戸市民に広く知られた
浮世絵にもよく出てくる由緒ある神社
松坂の豪商・三井家(三越の前身)が江戸に進出し守護神とした
三井家の守護神ということで、三越池袋店にあったライオン像が置かれている
「三囲のコンコンさん」と呼ばれて親しまれたというタレ目のキツネ像に注目
1353年から1355年、三井寺(私のNOTE)の僧・源慶が東国遍歴の際に社を改築したことは判っている
改築しようとした際、土中より白狐にまたがる老翁の像が出てきて、白狐が現れ、神像を三回回ったことから三囲神社と改称したとか
1693年、江戸のかんばつの際には、俳人宝井其角が句を詠み奉納すると翌日大雨が降り、人々を救ったと伝えられている
(って、この周辺のあちこちで雨乞い伝承があるな・・)1914年、三井越後屋を継承する日本橋三越本店屋上に分霊が祀られた
境内には三井家の祖霊社である顕名霊社の社殿や、三柱鳥居が三井邸から寄贈されている
2018年、開祀200年にあたる「隅田川七福神」の大黒様と恵比寿様が安置された
詳細は次のNOTE『三井家の守り神!超レア三柱鳥居「三囲神社」京都太秦との繋がり』参照。
オマケで京都の三柱鳥居はこちら!
三囲神社から牛嶋神社へ南下
#牛嶋神社 :
スサノオと牛というのが面白く、全国的にレア鳥居「三輪鳥居」こと「三ツ鳥居」がある。東京スカイツリーの氏神でもあるようでクリスタルスカイツリー守りがある。さらに、12年に一度の丑年限定「牛のお守り」があるとか。
三つ鳥居といえば奈良「大神神社(私のNOTE)」で全国の三輪神社の総社。全国津々浦々の三輪系神社でも「三ツ鳥居」は超レアですね!
860年、慈覚大師の御神託により創建
主祭神スサノオの化身から御神託を受けて創建した古社
1180年、源頼朝は大軍を率いて下総国から武蔵国へ渡ろうとするが、折からの豪雨で渡河が難しい状況に。しかし、千葉常胤が牛島神社に祈願したことで、全員無事に渡河することができたのだとか
翌年、源頼朝は社殿を造営し、神領を寄進したのだと伝えられている
1538年、後奈良院より「牛御前神社(うしの ごぜん しゃ)」と名づけられ、明治に今の神社名に変更した
本所の総鎮守として知られ、9月15日には例大祭が催される
境内の「撫牛」は自分の悪い部分と牛の同じ部分を撫でると病が治るという信仰
本殿前には全国的に珍しい三輪鳥居(三つ鳥居)と「狛牛」がある
例大祭「神幸祭」は毎年ではなく5年に一度
神幸祭では本物の黒牛(神牛)が鳳輦を曳き町内を練り歩くそうな
鳳輦(牛車)を中心とする古式豊かな行列が氏子五十町安泰祈願巡行する
かつては隅田公園に北側にあったのが公園の工事のため移動した
牛=菅原道真という人が多いだろう。ただスサノオ=牛頭天王なので牛なんだそうな
1932年、墨田堤の拡張により現在の場所に移動
私のNOTEは次の通り。
続:2024年01月27日(土)②江東区
#富岡八幡宮 :東京都江東区富岡1丁目20−3
江戸最大の八幡で『深川の八幡様』として古くから多くの方に親しまれているが、江戸時代創建と時代は浅い。朱塗りの大鳥居や社殿、横綱力士碑などが見どころ。そして、どこか社殿が石清水八幡宮と鶴岡八幡宮を思い出させる。
1627年、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建
周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得た「江戸最大の八幡」
江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受ける
明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念された
毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せる
詳細は次のNOTE参照。
#深川不動堂 :富岡八幡宮横
本堂は、開創310年記念事業として建立された新しく、本尊ならびに両童子、四大明王はご遷座され、毎日のお護摩修行もこちらで行われている。
旧本堂の後ろにある内仏殿では、諸仏諸尊を安置している。1階、2階、4階とそれぞれお参りできる。4階では日本最大級の天井画「大日如来蓮池図」を公開している。
詳細は次のNOTE参照。
#法乗院 :東京都江東区深川2丁目16−3
賽銭を入れると夫婦円満の秘訣や健康について教えてくれる。その橋に「振り向き不動明王立像」が安置されている。深川不動堂と富岡八幡宮とセットですね。
1629年、深川富吉町に創建され、現在地に移る
開山は覚誉憎正で、本山は十一面観音で有名な大和・長谷寺
弘法大師四国八十八ヶ所霊場の写し霊場で、江戸時代中期に江戸に設けられた
江戸三えんま『深川ゑんま堂』として古くから人々に親しまれてきた
詳細は次のNOTE参照。
昼食 FRESHNESS BURGER フレッシュネスバーガー
時間が足りないかも・・ひとまず駅前の店に入った。チェーン店なんですね。初めて知りました。
#半蔵門ミュージアム :東京都千代田区一番町25
詳細は次のNOTE参照。
続:2024年01月27日(土)③千代田区&港区
#日枝神社 #東京都千代田区永田町2丁目10−5
この神社は京都にはない「赤坂日枝神社」皇居鎮護の良い神社。
日吉・日枝=神猿ことマサルですね。いや~東京の日枝神社凄い行列だし、御朱印やお守りなどを買うとこも行列だらけ・・。次回はじっくり回ろうかなと思います。愛宕神社とか行けていないし。2024年は事前調査不足でしたね・・かなり見逃している・・。
たぶん裏参道から入ったようですね。山の上にあり、なかなかハードな階段だった。埋め立てたところで津波など水害を考慮して高台に鎮座させたのだろうか・・。
鎌倉時代に創建
1478年、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守社・川越日枝神社を勧請し、江戸の繁栄の礎を築く
1590年、徳川家康が江戸城を居城とするにあたり、徳川将軍家の産土神とする
1604年からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになる
1657年、江戸時代最大の大火事とも言われる明暦の大火に見舞われ、社殿を焼失
2年後、現在の地に再建
1659年造営の社殿は、江戸初期の権現造りの代表的建物として国宝に指定されてたが、1945年に戦禍で焼失
本殿には御祭神として山の神様として知られる「大山咋神(オオヤマクイノカミ)」を祀る
末社には「山王稲荷神社」「八坂神社」「猿田彦神社」がある
「山王稲荷神社」には、商売繁盛の神として崇められているウカノミタマを祀る
「八坂神社」には、本殿の神である大山咋神の祖父スサノオ
「猿田彦神社」には、サルタヒコですね
江戸三大祭の一つ「山王祭」が行われる
宝物として国宝・重要文化財の刀剣がこれでもかと持つ
参道は「男坂」ともよばれる表参道、山王橋をエスカレーターで進む「西参道」、千本鳥居の美しい「稲荷参道」の3つがある
詳細は次のNOTE参照。
#赤坂氷川神社 :東京都港区赤坂6丁目10−12
東京十社のひとつ
祭神は「スサノオ」、「クシナダ」、オオクニヌシの別名「大己貴命(オオナムチ)」と所謂、出雲系
出雲は日本海側で島根から長野・新潟だと思っているが、関東に多いのが不思議
「氷川」という語源は島根県にある「斐伊川」とか
951年、東国を遊行していた蓮林僧正が、赤坂4丁目付近で一夜を明かすと夢で祭神のお告げがあった
お告げにより、この地に氷川明神の社殿を建てお祀りをしたことがはじまり
1066年、関東一円に大きな干ばつがあり、雨乞いをすると、雨量は川ができるほどであったよう
1716年、徳川吉宗が8代将軍職を継ぐにあたり、紀州藩の中屋敷が赤坂にあったことから、氷川明神への幕府の尊信は高まる
1729年、吉宗は老中・水野忠之を総責任者に命じて現在地に社殿を造営
1730年、一ツ木村から現在地への遷座が行われ、吉宗が参拝したそうな
以後14代将軍・家茂まで篤い崇高を受ける
社殿は、安政の大地震、関東大震災、東京大空襲など数々の災禍を奇跡的に免れ、創建当時の姿を現代に伝えている
詳細は次のNOTE参照。
#愛宕神社 :東京都港区愛宕1丁目5−3
※今回は時間の都合、キャンセルです。
#青松寺 :東京都港区愛宕2丁目4−7
※今回は時間の都合、キャンセルです。
新幹線 #東京駅 から #京都駅
駅弁買って新幹線に乗り込む。そして寝る!
▼セットで行く神社仏閣
▼旅行記一覧
◆東京X◆東京スカイツリー&浅草ブラリ!快慶&定慶&行快を見仏!慶派神髄!
◆東京②◆イルカショー12頭vs運慶作の仏像21体-東博『運慶』(品川/港/台東)
◆神奈川②東京③◆東京上野界隈で京都三昧!?!運慶展2!仁和寺展(上野/渋谷/千代田)
本NOTEより未来の旅行記は、次の一覧を参照。
▼じゃらん(簡易版&ルート確認):なし
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