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兎がほざく

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ショート•エッセイ、140字以内。毎日投稿、どこまで続く?
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2024年8月の記事一覧

兎がほざく1244

兎がほざく1244

いつも同じようなことを言い換えているだけでも聞く人や読む人に響くことはあると思います。

書いている人が書くこと自体に感じている愉悦のようなものが伝わればきっと響きます。

読む人はためになることを読めばうれしいわけではないはず。

ぼくは読み手としてそう思います。

兎がほざく1243

兎がほざく1243

ぼくは心が敏感肌のようです。

フィクションのはずの作品のつらさや悲しさを自分のこととして体験してしまいます。

どんなに素晴らしい本でも、自分がほっと息のつけるところを探してしまいます。

甘口好みかもしれません。

そうして無意識に自分を守っているのでしょう。

兎がほざく1242

兎がほざく1242

ダヌンツィオの作品に、夜の間は世界すべてが自分のものという幻に酔って日の出の前に英雄になるんだという詩があります。

闇、破壊、偽りの万能感。

でも太陽にはなれないのです。

朝の光は人を生活に連れ戻します。

闇に目が利くコウモリは酔ったりしないのでしょう。

兎がほざく1241

兎がほざく1241

愛の言葉が受け入れられないとして。

それは相手がほしくないものを差し出したから?

それともないものを差し出したつもりになっただけだから?

愛の言葉とは効能書きのようなものかもしれません。

世界すべては差し出せないのです。

詩は不可能を背負っているのです。

兎がほざく1240

兎がほざく1240

文章を読むとは理解するだけではなくその生地のようなものを感じることです。

わからなくてもそれを感じてさえいればいいのでしょう。

ぼくは文章を読んだ感想を書くときついそれを忘れてわかったつもりのことだけを繰り返してしまいます。

著者が喜ぶような感想を書きたいのに。

兎がほざく1239

兎がほざく1239

自分にとってよくわからない不可解なものをそのまま言葉で書き取るという書き方もありだと思います。

わかっていることをほかの人に知らせようとする書き方とは別の書き方です。

なんでぼくはこういう人生になったのか不可解です。

なんでこの世界はこうなのかも不可解です。

兎がほざく1238

兎がほざく1238

また変わったことを言ってみます。

時間とは始めと終わりがあってはじめて時間になります。

だから時間をあらしめるために誕生も死もあるのです。

後者はなんでこんなものがとみんな思いますがないわけにいかないのです。

終わりがなければ始めもないから。

時間とは一生です。

兎がほざく1237

兎がほざく1237

すてるかみあれば、ひろうかみあり。

作品を世に出すときこの言葉は当たっていると思います。

全員にすてられることも全員にひろわれることもないです。

すてもひろいもされないことも多いです。

積極的に批評する人にはすてるかみが多い?

ぼくはできるだけひろいたいです。

兎がほざく1236

兎がほざく1236

ぼくは見た夢のあらすじは必ずノートに書いています。

そうして書いた夢を後で見返すのは楽しいです。

映画を思い出す感覚です。

特に場所について現実のどこの印象が顔を出しているのかを考えます。

行ったこともない現実の場所と似ていることがあって面白いです。

兎がほざく1235

兎がほざく1235

人間には朝も夕方も必要なのです。

新しい気分になる時間と、過去を振り返る時間と。

そして夜も必要なのです。

昼の自分としばし別れる時間。

このように時が切り替わることそのことが人間に必要なのです。

自分は不変であり続けられるものではないからだと思います。

兎がほざく1234

兎がほざく1234

人を好きになるのに臆病になるのはわかります。

傷つきたくないのがわかります。

でもどこかで未知の人を待たせたままにしているのかもしれません。

人を好きになることができないのを自分に隠しているとすればもっと悲しいです。

それでもためらうのもまたよくわかります。

兎がほざく1233

兎がほざく1233

おくゆかしさとは目先のものごとを無理に手に入れようと焦らないありさまでしょう。

奥座敷に人知れず宝を秘めているかのように。

古語で言えば「奥ゆかし」つまり奥を知りたくなるというわけです。

玄関にはさして目につくものを並べている様子はなくても。

自足の豊かさがある言葉です。

兎がほざく1232

兎がほざく1232

知恵の完成によって苦しみから解き放たれるという考えがあります。

完成への道を歩む生き方が身につけばそれはすでに完成だといいます。

苦しみからの解放とは苦しみがなくなることではないのでしょう。

前を向いて歩むことなのでしょう。

そこに魔法はありません。

兎がほざく1231

兎がほざく1231

一つの曲は最後の音が鳴り終わってはじめて完結します。

でも完結したときは曲は終わっています。

わたしとは曲のようなものでしょう。

誰もが今はまだ「これがわたし」というには早すぎるのです。

それが言えるときはわたしはもういません。

今あきらめるのは早いです。