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宛先のない手紙 vol.2

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ほぼわたしの考えを垂れ流すエッセイのようなもの。その2。
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#育児

「でもね」から始まる、それは暴力

「でもね」から始まる、それは暴力

「何でも話してね」
「何かあったら相談してね」

そう、彼女は言う。そんな彼女に、わたしはへらへらと笑って「ありがとうございます」と返す。もう何度目かのやり取りだ。わたしが彼女に事実以外のことを話すことは、ない。きっとこの先もないだろう。

「でもね」

いつだって彼女は言う。「でもね」のあとに続くのは、「正しいこと」だ。結局、こちらの事情や感情を汲もうという気が最初からないのだ、彼女には。いつだ

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身につけた正義感で、自分や誰かを潰さないために

身につけた正義感で、自分や誰かを潰さないために

「がんばること」を、褒められてきた。がんばれることを、美徳とされつづけてきた。

裏を返せば、「がんばれないこと」はダメなこと、ともいえる。両者がイコールではないことを、昔のわたしは知らなかった。



がんばれること、そのこと自体は何ら悪ではない。がんばっている人のがんばりを斜に構えて捉えた言葉を投げつけるのは、それはそれでダサいな、と思う。

けれども、がんばれないことを殊更「ダメなこと」と

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メンタルリバープールに障害物を投げよ

子どもと暮らしていると、いつでもニコニコ平穏無事に日々を過ごせるわけではない。

赤子のときはいざ知らず、幼児、児童と成長を遂げるにしたがって、「いつでも自分の好きにしていていいよ」とは言えない。それなりに躾なければいけないことはあるし、野放しはそれはそれで虐待だ。

社会で生きていけるように育てなければならず、ただし相手は自我のある人間。それが子育ての難しさのひとつなのだろう。



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見て聴いて嗅いで触れて、育む

見て聴いて嗅いで触れて、育む

行きたい場所が、またひとつ増えた。



「周りのお母さんは、“夏休み嫌だ〜”とか“やっと夏休み終わる〜!”って言うんやけど、お母さんそんなこと思ったことないんよね」

わたしが小六くらいだったろうか。夏休みが終わるころに母が言った。

「お母さん、“もう夏休み終わっちゃうわあ”って思うんよねえ。始まるときは、“今年は何しよう”って楽しみなんよ」

当時、母は専業主婦。介護ヘルパーの資格を取りに

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7歳、こがけんさんの単独ライブに行く

7歳、こがけんさんの単独ライブに行く

人は笑うと寿命が延びるという。わたしの書いたもので誰かの寿命がもしも数秒間延びるのならば、そんなにうれしいことはない——。

冒頭は高校時代の文芸部OBが卒業時に書き記していた言葉だ。当時、すでに大学生だった彼に会う前から、わたしはこの言葉が好きだった。

彼の書くものはユーモアに溢れていて、言葉遊びが巧みだった。わたしは悲しきかなユーモアセンスが皆無で、だからこそ余計に彼の書くものに惹かれていた

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7歳、カメラの楽しさを知る

7歳、カメラの楽しさを知る

失敗を恐れる子どもだった。

誰だって、失敗は怖い。一ミリも怖くない人は珍しいだろう。

ただ、わたしは過度に恐れていたように思う。理由はわからない。成功すれば褒められ、失敗すると叱られていたからなのかもしれないけれど、あまりにも極端な接し方をされた記憶はない。できたときに大いに褒められる体験はしてきたように思うけれど。



長男も失敗をひどく恐れるタイプだ。慎重を通りすぎて、やる前から「ぜっ

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それ、かっこよくないよ。

それ、かっこよくないよ。

子どもは無垢ではない。大人が無垢で純粋だと思っていたいだけだ。

平気で嘘だってつくし、小狡いことも早々に覚える。大人に褒められるであろうことを、あらかじめ理解したうえで実行に移すことだってある。

かわいいと思ってもらいたい。
かっこいい自分になりたい。

その想いだけは純粋だ。「認めてもらいたい」に繋がる、まっすぐな欲求なのだと思う。



かわいい自分になろうとする子がとる言動は、褒める類

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子どもに読ませたくない本

気づけば、本を開いていた。出会わせてくれたのは、母だった。

興味があったのだろう、早くに文字をおぼえ、そこから先は自分でがしがし本を読むようになった。

幼稚園時代の参観の様子を残した映像には、ひとり教室の隅で絵本を開く五歳のわたしの姿が残っている。

高校時代の教師たちは、口を揃えて「本を読め」と言った。正確には、「新書を読め」だ。あとは新聞。すべて読解力など、受験のための「読め」だった。

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上滑りしていく足を地につける、夜

上滑りしていく足を地につける、夜

エネルギーが弱まってくると、夜のほうが何かと捗るようになる。



子どものワアキャアいう声に、わたしはいともたやすく侵食される。前までは踏ん張っていられたようにも思うのに、今や抗うすべなく思考回路はショート。一挙に睡魔が襲ってくる。まるで気絶か充電切れかを起こすかのように。

わたしがめっきり弱くなってしまったのか、はたまた子どものエネルギーが増強されているのか。まあ、両方なんだろう。

わた

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中途半端な球体を目指さない

中途半端な球体を目指さない

はじめは、みんなデコボコだった。

デコを「いいね」っていってもらえた。
ボコを「ダメだね」っていわれることなんかなかった。

デコはどんどんのびていき、ボコはそのままそこにある。

デコとボコが逆の人と知り合って、そうしてぼくはニコリと笑った。



「磨くこと」について考えていた。

わたしたちは、生まれながらに持っているデコボコがある。それは得手不得手であるし、好き嫌いでもある。得手不得手

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おやこたびのススメ

おやこたびのススメ

夏に入り、母子で2度旅行をした。

家族で旅行に行くのが好きだった。毎年、夏と冬にどこかしら一泊ほどの旅行に行くのが、実家での恒例行事だったのだ。

行き先は子供ウケするような場所とは限らなかったけれど、どんな場所も刺激的だった。高速道路から見える名も知らぬ場所すら興味深くて、「今のうちに寝て起きなさいよ」という親の忠告も聞かずに、ぼんやり外を眺めていたなあと思い出す。

子どもと行く旅行では、派

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命を預かった日

命を預かった日

先日出産した妹が、無事に赤ちゃんと退院した。

まだ産後すぐだから、詳しい出産話は聞いていない。ただわかっているのは、破水からはじまったあと、生まれるまでにかかった日数が2日半だったということ。

このうち本人が苦しんだ時間がどれだけだったのかはわからないけれど、17時間の出産で半分死んでいたわたしにとっては、「2日半……」と遠い目にならざるを得ない時間だ。

報告してきた妹にお疲れ様と返したあと

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疳の虫をつまみ封じる

疳の虫をつまみ封じる

子どもの頃から、目と目の間のあたりに、少しだけ青く血管が透き通って見える。

「疳の虫が強い子によくあるんだわ」

祖母は言った。“疳の虫が強い”とは、気性が荒いといったらいいのだろうか。夜泣きやかんしゃくがひどい子どものことを指すようだ。

“疳の虫”と血管との因果関係はわからないけれど、確かにわたしは疳の虫が強い子どもだったらしい。虫封じをしてもらいに神社に行ったという話も聞いている。

長男

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跳び箱から見える景色

跳び箱から見える景色

はじめてのことに対して、多くの人は恐怖を感じるものだ。多かれ少なかれ程度はあるけれど、まったく怖さを感じたことがない人はいないだろう。そもそも、「怖い」という感情は、自衛のために必要なものだ。

ただ、その怖さに飛び込んでいかなければ、人はいつまで経っても進歩できない。

息子は、なかなかのビビリだ。跳び箱も鉄棒も不得意で、「できないもん」と言っている。

得意不得意はあって当たり前。ただ、彼の「

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