メンタルリバープールに障害物を投げよ

子どもと暮らしていると、いつでもニコニコ平穏無事に日々を過ごせるわけではない。

赤子のときはいざ知らず、幼児、児童と成長を遂げるにしたがって、「いつでも自分の好きにしていていいよ」とは言えない。それなりに躾なければいけないことはあるし、野放しはそれはそれで虐待だ。

社会で生きていけるように育てなければならず、ただし相手は自我のある人間。それが子育ての難しさのひとつなのだろう。



人間対人間の付き合いには、その相手がたとえ恋人やパートナーだとしても、互いに成長するなかで培ってきた「人付き合いの作法」がある。

もちろん、近しい人になればなるほどズレが大きな問題となって覆いかぶさってくるし、互いの価値観や自我がぶつかって揉めることもある。けれども、「ダメだ、これ以上向き合っているとメンタルがやられる。一時退散!」という方法は選べる。


子どもが相手になると、この「退散!」が難しい。繰り返しになるが、赤子のときはまだよかった。意思を持つ人間だとしても、彼ら彼女らができるのは泣くだけだ。

「退散!」もトイレやお風呂に逃げ込めばいい。相手は反抗をすることもまだできないから、腹立たしい思いにはならなかった。少なくとも、わたしの場合は、だけれど。(夜泣き続きの赤ちゃんに腹を立ててしまう人もいるとは思う)

イヤイヤ期も、まだよかった。わたしのなかに、「そりゃイヤイヤ期だもんなあ」というお守りがあったからだ。

いやー、仕方がない。イヤイヤ泣かれ続けるのはこっちもつらいし、「ああああん??」と苛立つこともあったけれど、でも仕方がない。相手は2、3歳のイヤイヤ期。仕方がない。うん。飲み込もう。うん、君が落ちつくまで待つよ。(本当にあの頃は待てていた)


……という時期を経て、今。

長男は小2で、次男は年長。本当の意味で人間対人間の付き合いになってきた。「親の言っていることはわかるけれど、聞いてなるものか!」と全力で無視、もしくは号泣したり別の部屋に逃げ込んだりして抵抗する彼ら。

一方、「“じゃあ仕方ないねー”と言っていたら1日が終わらないんだよ!!! ねえ、今日それ何度目!!??」というわたし。「こっちが大人になって見守りの姿勢で」みたいな悠長なことを言っていたら、帰宅後に何時間あっても足りない。いや、ほんとに。

また、子どもが疲れ果てて寝るまで放置……というわけにもいかない。イヤイヤ期の頃のように気が済むまで待ちの姿勢をとれないことも多いのだ。

風呂だって入ってもらわねばならないし、歯だって磨いてもらわねば本人が困る。そもそも、疲れ果てて寝るまで放置していたら、翌朝が困る。ただでさえ起きないじゃないのよ、あなたたち。


感情と感情がぶつかり合うがために、影響を受けやすいわたしは本当に心底ヘロヘロになる。そして、その影響からしばらく逃れられない。朝にひと悶着あったら、そのテンションが続いてしまう。集中力、減退。思考回路、壊滅。仕事にならない。困る。本当に、困る。

そうしたときのわたしのメンタルは、恐らく勝手にかき回されたリバープールなのだろうな、とふと思った。小学生のとき、水泳の授業でやりませんでしたかね、リバープール。プールのなかでみんなで一方方向に歩いて、流れを作るあれです、あれ。

で、不本意に作られたメンタルリバープールに飲み込まれ、溺れる寸前になっているのがわたしなのである。例によって溺れていた今朝のわたしは、取材の予定がない日だったこともあり、朝一で某ファミレスに飛び込んでみた。モーニングを食べ、ドリンクバーを飲み、パソコンを開く。……集中力が復活した。



自分で気持ちをうまく切り替えられる人であれば、何かに頼らずに「よし、仕事スイッチオン!」とできるのだろう。しかし、わたしはそれが下手だ。感情が動かされれば動かされるほど、しばらくそこから戻ってこられない。流れに逆らって気持ちを変えることができず、溺れるか流されるかしかできないのだ。だったら、流れを止める何かをプールに放り込むしかない。

切り替えが下手な自分がダメだ……と落ち込んでいる暇があるのなら、何でもいいから流れをぶった切った方がいい。ダメだとしても仕方がない。下手なものは下手であり、上手くなれないのが現実なのだから……。

思えば、取材が朝からある日は、そこで強制的にスイッチが切り替えられるんだよな。これからは、子どもと感情をぶつけ合ってしまったら、とにかくどこか別の場所で仕事を始めよう。……そこまでぶつけ合わずに済む、穏やかな時間を求めたいのが本音なんですけどね、本当は。

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