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命を預かった日
先日出産した妹が、無事に赤ちゃんと退院した。
まだ産後すぐだから、詳しい出産話は聞いていない。ただわかっているのは、破水からはじまったあと、生まれるまでにかかった日数が2日半だったということ。
このうち本人が苦しんだ時間がどれだけだったのかはわからないけれど、17時間の出産で半分死んでいたわたしにとっては、「2日半……」と遠い目にならざるを得ない時間だ。
報告してきた妹にお疲れ様と返したあと、母に連絡をした。長丁場だったお産のどこまで付き合ったのかわからないけれど、相当疲れているだろうと思ったから。
義弟が仕事の都合をつけられたため、交替で付き添えて良かった、との返信がきた。義弟(の職場)、ナイス。丸2日半母だけだと倒れてしまったろうと思うから、休み休み付き添えたと知り、一安心した。
母のメールには、こう記されてもいた。
「おかげさまで3回も誕生に立ち会えて幸せでした。ありがとう」
なぜだか、わたしはこの文面を見て泣けてきてしまった。
妹が送ってきてくれた写真を見たときもそうだった。
こんなに小さかったんだよ。日々暴風に吹き飛ばされそうになりながら、なんとか曲がりなりに母業をこなし、今年で7年目に入った。
育児は楽になるどころかしんどくなる一方で、うまくなんか全然やれなくて。いろんなことで言い訳して、それでも自分なりにやってきた。褒められるような育児はできてなんかいないけれど、それでも何とか何かを食べさせながら、幼稚園代はわたしの働いたお金で出しもした。頼れる相手もいなかった。今でこそましにはなったけれど、夫ですら、わたしの頼れる先ではなかったから。
実家は「親と子は別世帯。自活せよ」という意識が強いから、年2回の帰省中だけ頼らせてもらっている。ふだんのしんどさを親に吐き出すこともほとんどない。
最近は本当に長男のことで悩んでいるのだけれど、今は妹が大変だからと何も伝えていない。
「子どもがかわいいってなんだっけ」
ふとそんなことが頭によぎることもあった。だけど、やっぱり子どもはかわいいのだ。
新生児の写真と母のメールは、わたしを初心に返したのだと思う。
理想もかなり含まれていたため、あの頃抱いていた気持ちそのままではないけれど、あの頃抱いていた大切なものは、今もまだ、ここにある。なくしてはいけない、大切なものだ。
親孝行なんてまだまだできていないけれど、孫の誕生に立ち会えた(文字通り次男の出産の立ち会いは母だった)ことを幸せであったと言ってもらえたことが、今は嬉しい。
「子どもは預かりものだから」と言っていた母の言葉を思い出す。たいそう大変な預かりものをしていると感じるけれど、縁があって預けてもらったふたりを、わたしはどうにかこうにか育てていかねば。
子育ては途方もなくて、けれど尊い。15年後くらい、ふたりが成人した頃に振り返ってみたときに少しでも今が輝いて見えたら、価値のある時間を過ごしたのだと思えるんだろうな。
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