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宛先のない手紙 vol.2

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ほぼわたしの考えを垂れ流すエッセイのようなもの。その2。
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#コンテンツ会議

天然の罪深さ

天然の罪深さ

以前にも書いたけれど、朝ドラ「半分、青い」にどハマりしている。

高校卒業までを描いた岐阜編の青春感とホームドラマ感も、それはもうそれはもう大好きだったので、上京編前は「まだまだ卒業しなくていいよおお……」としんみりしていた。

そんな寂しさはどこへやら、上京編もいい。登場人物ひとりひとりのキャラクターが個性的だし、何だかんだでみんなあったかい。鈴女が恋に落ちる展開もあって、日々少女マンガを読んで

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わたしたちは融け合えない

わたしたちは融け合えない

群像劇が好きだ。群像劇とまでいかなくとも、主人公以外の登場人物たちが「生きている」ものが好きだ。

「生きている」と感じられるかどうかは、完全なわたしの主観だけれど、今パッと思いつくのはこのあたり。(完全なる好みです)

・ハイキュー!!
・鋼の錬金術師
・彼氏彼女の事情
・CRAZY FOR YOU
・金色の野辺に唄う
・レミゼラブル
・半分、青い
・大河ドラマ(すべてではないけれど)

映像も

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欠けている部分が自分を作る

欠けている部分が自分を作る

NHKの朝ドラ、「半分、青い」が好きだ。主人公(と実家家族)のキャラクターがなかなかに濃いこともあって、シリアスな展開中もさほど湿っぽくならないところが、朝に見るドラマとしてもいいなと思っている。

主人公の鈴女(すずめ)は、幼い頃の病気がきっかけで、左耳が聞こえない。高校生の頃の就活で、彼女はそのことを常にオープンにしていた。

そのせいかどうかは定かではないけれど、事実、鈴女は13社受けた会社

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「正誤」の中にある「好き嫌い」

「正誤」の中にある「好き嫌い」

久しぶりに、高橋優の「素晴らしき日常」を聴いていた。

始めの社会風刺から最後の人間賛歌に畳み掛けていく歌詞とメロディーが、発売当時から好きだ。久しぶりに耳にしても、やっぱり「いい」と感じた。

性善説派と性悪説派とがいる。わたしは前者寄りの人間だ。

どんなに「うわ、ないな」と思っても、「いやいや、何か事情があったのでは」と「よんどころない事情」を探してしまう。

基本的に「いい人だろう」から入

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マンガとわたし: 3億は用意できないけれど

マンガとわたし: 3億は用意できないけれど

「好きな女に“何も考えずに休め”って言えるくらいは、持っておきたいんだよね」

マンガ「ハチミツとクローバー」に出てくる、真山のセリフだ。社会人になったのに、学生時代のまま格安家賃のアパートに住み続けている彼に、後輩の竹本(学生)が理由を尋ねたのだ。

その答えが、「お金を貯めたい」で、お金を貯めたい理由が、「チャンスが訪れたときに飛び込むための資金」と、冒頭の「好きな人」のためだった。

鬱の人

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マンガとわたし:大雑把なカテゴライズと悪意

マンガとわたし:大雑把なカテゴライズと悪意

昔、同級生に台湾の子がいた。両親ともに台湾人だったのか、ハーフだったのかはわからない。ただ、アジア人だから見た目が大きく特徴的だったわけではないし、言葉も不自然さのない日本語を話していた。もしかしたら、日本生まれ日本育ちだったのかもしれない。

彼はなかなかのヤンチャぶりで、クラスメイトと喧嘩をすることも多かった。女子から「バカじゃないの」と思われる男子生徒のひとり。見た目や話し方に特徴がなかった

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弱さを受け入れながら前へ進む、Aqua Timezの世界

弱さを受け入れながら前へ進む、Aqua Timezの世界

Aqua Timezが解散するらしい。

TLに流れてきた公式アカウントの「お知らせ」ツイートを見たとき、わたしはまさかそれが解散の報告だとは露ほども思わなかった。

何の根拠もなかったけれど、なぜかわたしは、Aqua Timezは解散とは無縁なバンドだと思っていたらしい。それは、きっと彼らの醸し出す雰囲気が仲睦まじかったからかもしれない。



Aqua Timezは、わたしが初めてライブに行

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今を変えられる過去のアリはいない

今を変えられる過去のアリはいない

映画「バックトゥーザ・フューチャー」が好きだ。もうなくなってしまったけれど、ユニバーサルスタジオジャパンにあったアトラクションも好きだった。

タイムマシン・デロリアンを作ったドクと主人公とのやりとりが時にコメディタッチで、ハラハラしたり笑ったりしながら家族と観ていたことを憶えている。

1のエピソードは、過去に飛んだ主人公が、両親が出会うはずだった出来事に関わってしまい、自分の存在が危うくなると

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映画「インサイド・ヘッド」のカナシミ

映画「インサイド・ヘッド」のカナシミ

ディズニーの「インサイド・ヘッド」を、子どもたちが何度も見ている。以前、放映されたときに録画したものだ。

これまでわたしはきちんと見ていなくて、ながら見や、ながら聞きをするだけだった。なぜか耳に入ってくるのは毎回同じシーンばかり。繰り返され続けるうちに何となくあらすじはわかったけれど、それくらいのものだった。

日曜日に、また子どもたちが「インサイド・ヘッド」をつけた。(長男はデッキのハードに録

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鞭には飴を、叱咤には激励も

鞭には飴を、叱咤には激励も

5歳からピアノとエレクトーンを習っていた。

8歳の年に引っ越したあとも教室を変えて続けてきたのだけれど、この新しい先生が本当に怖かった。

おそらく「才能」というものを考えるようになったのは、この先生とのレッスンがきっかけだ。何人もで演奏をするアンサンブルのレッスンにも通っていたため、ほかの子の演奏を聴く機会が常にあり、それを指導する先生の言動で自分の力とほかの子の力とを比べやすかったのだ。

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