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今を変えられる過去のアリはいない

映画「バックトゥーザ・フューチャー」が好きだ。もうなくなってしまったけれど、ユニバーサルスタジオジャパンにあったアトラクションも好きだった。

タイムマシン・デロリアンを作ったドクと主人公とのやりとりが時にコメディタッチで、ハラハラしたり笑ったりしながら家族と観ていたことを憶えている。


1のエピソードは、過去に飛んだ主人公が、両親が出会うはずだった出来事に関わってしまい、自分の存在が危うくなるというストーリー。何とか両親が結婚する未来に戻そうと奮闘する内容だ。

実は、この映画はタイムトラベルものとして矛盾がありはするのだけれど、それは今は置いておく。今日書きたいのは、わたしの記憶に強く残っている、この映画を観た頃に学校の担任が言っていた「アリを踏むだけで未来は変わる」という言葉だ。


過去は今につながって、今が未来につながっていく。すべての事象が絡まりあり、絶妙なバランスで成り立つ今は、些細な変化ひとつで壊れるものなんだよ。そんな話だった。……確か、社会科の授業中、歴史のときに聞いたのかもしれない。「タイムスリップをしたい」とでも、確か男子が言ったのだったと思う。


わたしの親の出会いもかなりの偶然で、それがなければわたしは生まれなかったのだなあと思う。

わたしと夫の出会いも同様だ。彼を好きになったきっかけは、わたしの中でつらい記憶とセットになっているのだけれど、その出来事がなければ、今はきっとなかったのだろうと思うと、なんとも不思議な気持ちになる。

そして、彼と結婚していなければ、今暴れてはわたしを困らせている息子たちもいない。今でこそ当たり前のように存在しているけれど、十年前までは存在していなかった存在なのだよなあ。


現実にはデロリアンはない。だから、いつかの“あの日”に戻ってアリを踏んでくることは、今のわたしたちにはできない。

いつだって変えられるのは今だけで、今とつながる未来だけ。望む方向に進むかどうかなんて、今のわたしにはわからない。答え合わせは死ぬときまでできないのだ。

未来を守るために過去で必死になったバックトゥザ・フューチャーの主人公のように、わたしたちは未来を守るために今を生きなければならない。がむしゃらにならなければいけないとは思わないけれど。

「やっておけばよかったなあ」を少しでも減らす過ごし方をしたい。「まあ、あのときはあのときで精一杯やっていたよ」と未来の自分が思えるならば、それでいいし、それがいいのだと思う。


なお、高校時代に「デロリアン」があだ名の友人ができるのだけれど、それはまた別のお話。



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