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映画「インサイド・ヘッド」のカナシミ

ディズニーの「インサイド・ヘッド」を、子どもたちが何度も見ている。以前、放映されたときに録画したものだ。

これまでわたしはきちんと見ていなくて、ながら見や、ながら聞きをするだけだった。なぜか耳に入ってくるのは毎回同じシーンばかり。繰り返され続けるうちに何となくあらすじはわかったけれど、それくらいのものだった。


日曜日に、また子どもたちが「インサイド・ヘッド」をつけた。(長男はデッキのハードに録画されているものを勝手に見られるようになってしまった)そこで、印象に残るシーンをはじめて見た。

ここでそもそもなのだけれど、「インサイド・ヘッド」とは、わたしたち人間の頭の中に、さまざまな感情を司るキャラクターたちがいて、その子たちが宿り主の幸せのためにがんばる物語だ。

生まれた当初はヨロコビしかいなくて、その後カナシミ、ビビリ、ムカムカ、イカリと、成長とともに感情が増えていく。

ヨロコビとカナシミは、名前のとおりキャラクターも正反対。カナシミはスーパーネガティブなので、ヨロコビは時々そんな様子に辟易する姿を見せる。きっと見ているわたしたちの中にも、カナシミのうじうじした様子にイライラする人がいるのではないかと思う。


わたしが印象に残ったシーンは、そんなカナシミが、人の励ましになるのだと教えてくれる場面だ。

ビンボンというゾウのようなキャラクターが、大切なものを失ってしまい、その場から動けなくなってしまう。早くその場から動きたいヨロコビは、持ち前の明るさで励まして足を立たせようとする。しかし、落ち込んだビンボンの耳には届かない。

そんなとき、カナシミがそっと傍らに座り、「大切なものだったのね」「もう戻らないのね」「残念ね」とビンボンに話しかける。さらに悲しみを強めてしまいそうなカナシミの対応に、ヨロコビは「何やってるの」と焦るのだけれど、ビンボンはカナシミに思い出を語るうち、涙を拭いて立ち上がる。

……というシーンだ。


ヨロコビは目をぱちくりさせて、カナシミに「何をしたの?」と尋ねるけれど、カナシミは「わからない。悲しいねって話していただけ」と返す。

映画の中では割と小さなエピソードだけれど、このシーンが強く印象に残ったのは、「ポジティブ・明るさが役に立つときばかりではない」と思っているからかもしれない。

今つらいところにいる人に、「大丈夫だよ」「すぐ立ち直れるよ」と声をかけるのは、実は簡単だ。そうした声かけが意味を成すことももちろんある。けれど、つらいところにいる人によっては、そうしたポジティブが放つ光は強すぎて、かえって自身の闇が色濃く感じられてしまうこともあると思う。

自分に直接向けられた言葉ではなくても、落ち込んでいるときに前向きな言葉を見ていたら、余計に落ち込んでしまった経験をしたことがある人もいると思う。

晴れの日よりも雨の日の方が落ち着くときだってあるし、昼間よりも夜の方が元気になれるときだってある。いつでも明るさだけが人の心を救ってくれるわけではない。


奮い立たせようとしてくれる明るさも大切な感情なのだけれど、そっと寄り添って相手の話に耳を傾けられるカナシミは、人が誰かと生きていく上で、とても大切な感情なのだ。


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